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5/27/2019

2と5

今月つくるくんが2歳に、クレアが5歳になりました。



まだ許可がおりてないから画像はつけられないけど、自分の制作したイラストを載せた大きな広告トラックが、銀座松屋周辺を今走っています。
5月30日まで午後12時頃から5時頃の間だそうです。
銀聯カードの中国語広告で、浮世絵風のイラストだよ。


この絵もなかなか大きかった(横10メートルくらい)けど、これとは別にもうすぐ自分史上いろんな意味で最大の絵が完成する。そのおかげで忙しすぎて残念ながら今銀座には行ってられない。発表をお楽しみに。

5/28/2018

サツキ

五月。
エアコンのいらない気持ちの良い季節。
みどりの日につくるくんは1歳になり、6月の手術の予定も決まった。

難しい手術になる。
去年の11月に退院してから、毎月のように近いうちに行われると言われ続けていた手術の予定日がようやく立った。
心臓を開いてみないとわからないけれど、二心室修復できる可能性が7割と言われている。半年前は3割だった。

7割。

高い確率のようで人の人生に関わることだと思うと、とても微妙な数字。
いや、そもそも1歳児のこの先の一生に関わることをこんな確率で表されることに、なんとも言えない違和感を感じる。

それでも、もうこれ以上先延ばしにはできない。

いや、正確にはさらに時間を稼ぐという結果になる可能性が現時点で3割ある。


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これだけを読んでもよくわからないことが多いと思うのでざっくり説明すると、
つくるくんの心臓には右室と左室、右房と左房を隔てるそれぞれの壁に穴が空いている。
理想の治療法はその穴を塞ぐ二心室修復という治療法。
しかし、左心室が小さいということと、左心室の動きが弱いということ、さらに弁の形状の特異性が理由で、そこに踏み切れないでいた。

これまでの成長とその間に少しずつ効いてきた薬のおかげで、左室の小ささと動きの弱さは改善され、数値的には二心室修復にいける見込みになった。

残された問題は弁の形状。正常な心臓の場合は右と左に別々に存在する弁が壁が欠損しているために二つが合わさって一つの弁になっている。それゆえの血流の漏れ、いわゆる弁逆流が以前大きな問題となり、2度目の手術となった訳だけれど、その弁に壁を作って二つに割ったときにそれぞれがちゃんと弁として機能するかが今回の手術の鍵となる。その弁の形状の詳細は心臓を開けて見ないとわからない。エコーや以前の手術時のカルテなどから判断して、二心室に行ける可能性が現時点で7割。しかし、壁を作ってうまく動かなかったのでは困るので、実際に開いてみて、その場でさらなる検証を行って9割以上いけると判断されて、初めて二心室修復に踏み切られる。

さて、二心室修復ができない心臓はどうするのかというと、単心室修復という治療法がある。上大静脈と下大静脈を心臓から切り離し肺動脈に直接繋ぐことで、右室と左室を合わせて一つの心室として全身に血液を送る。そして全身を回った血液は心臓を介さず直接肺にいく。上大静脈の循環を切り替える手術をグレン、下大静脈も切り替えて全ての循環を切り替える手術をフォンタンと呼ぶ。この単心室修復の鍵は肺が握っている。肺に血液を送るのに心臓を介さないため、肺の血管抵抗が低く維持されることが絶対条件になっているのだ。

そして、ダウン症児は肺がとてもデリケートなため、この単心室修復に根本的に向かない。この肺の血管抵抗を守るために、生まれて1週間後の最初の手術で肺動脈を絞扼し、壁の欠損や弁逆流によって肺に血が流れ過ぎないようにしていた。そして現在、生後1年経ち、体が成長したためにこの絞扼がきつくなりすぎて、肺への血流が少なく成り過ぎたので、何はともあれこの絞扼は近いうちに拡げなければいけない。今回の手術で、もし二心室修復が行われなくても、この絞扼に関しては何かしらの措置が行われる。

現時点の肺の血管抵抗をみると、やはりグレンはともかくフォンタンは厳しいだろうとみられている。

転院する前の病院では、二心室修復は無理だと診断されていたため、すぐにでもグレン手術を行うということになっていた。そしてこれまで受け持ったダウン症児でフォンタンまで行ったケースは一人もいないと、その時の担当外科医には説明されていた。グレン手術のみでも、血液循環はかなり回復する。そうやってフォンタン待ちをしているダウン症児が少なくない数いる。だが、どうしても古い血液と新しい血液が混ざってしまうため、チアノーゼが残り、成人するころには他の臓器に支障をきたし、長く生きられないことが多い。

今の病院では、ダウン症児の場合、最終的にそれしかないというところまで追い詰められないと単心室修復は行わない。それでも、成功例はあると聞いている。きっとそのためにはまだ説明を受けていないオプションや治療プロセスがあるのだろう。

二心室修復ができる可能性が7割。壁は作らず、絞扼だけ拡げる可能性が3割。壁は作るが、弁の形状的に完全に閉じるのが危険だと判断された場合、微妙に隙間を残すことで、なんとか循環が成り立つようにする可能性もあると聞いている。その場合は、成長の過程でその隙間が問題になった場合にまた次の対策が考えられる。今後、家庭での酸素補助がいるかどうかも、その隙間を含めた循環の形による。

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7割。
確率っていったい何だろう。
手術の日、一体どんな気持ちで結果を待てば良いのだろう。

1/31/2017

美術部第13回: 墨絵とコンストラクション










今回は墨絵の回でした。書道を習っている部長のナカノさんの指導のもと、今回もとても楽しく自由に絵を描かせて頂きました。墨は水彩ともアクリルともまた違った滲み方、乾き方をするようで、その奥深さと難しさに程よく翻弄されたました。墨は一度塗られてしまった箇所は、消すことも重ねることも難しいので、もっと空白を意識した制作が必要だったなと思いました。新しいメディアは脳が開く感じがして気持ちがいい。呆然と手が止まってしまう時間が多かったけれど、楽しかった。写真など詳しくはマルカフェのブログにて。


さて、今回から活動のはじめの30分ほどをもらって簡単なドローイング講座なるものをさせて頂きました。自分のもっている知識を共有することで、自分自身の中にある情報を整頓しつつ再確認し、またこれを機に、他の人の持つ知恵なども少しずつ吸収できたらというのが、個人的な狙いです。

実際の講義の内容も同じくマルカさんの書いた文章がとってもわかりやすく読みやすいのでそちらを参考にしていただくとして、今回説明したConstruction または Structureとも呼ばれる描き方を、学校で学んだ時の絵が写真として記録されていたので、そちらを公開します。対象を面で捉えて、シンプルな立体的図形として絵に落とし込んでいくという手法です。下がGestureと呼ばれるもので、30秒ぐらいの短い時間に、対象のエネルギーの流れを読むというような見方を訓練するための手法。どちらも、なんともう15年も前の絵。なつかしい。

これからこのような形で自分のもってる知識を少しずつ共有していきたいと思ってるわけですが、そしてこれは個人的にとても大切だと思っていることなのですが、これらの知識は所詮知識なので、これによって硬くなりすぎないといいなと思います。スポーツ選手がフォームを改善しようとして硬くなってしまうことがあるように、意識的に知識に合わせて体を動かそうとすると自然と体は硬くなってしまいます。ダンサーが繰り返し繰り返し練習をして、最終的には無意識から導き出される自然な動きに、観る人が心を動かされるように、絵もこれらの知識はあくまでガイドの一つで、これらを経験を伴った知恵として体になじませ、いざ自由に好きなように描くという時に、潜在的な心を開く助けにならなければ意味がないなと思うわけです。別にみんなに同じように絵を描いて欲しいわけでもないし。まぁ要するに絵を楽しく描く助けになればいいんですけれど。









1/07/2017

ジカン



少し前に書いた好きになるということは選べないとか、意志の力とか愛とかの話の続きを少し。

キーワードは時間。
ちょっと大掛かりな話になってしまうけれど、時間とは神様がすべての生きとし生けるものに平等に与えてくれる愛、もしくは神様とは時間そのものなんじゃないかと思ったことが少し前にあって、今でもよくそう思う。
わりと多くの物事を時間は解決してくれる。悲しい出来事も辛い気持ちも、もちろん嬉しいことも楽しいことも、時間がたてば過去の出来事となり、ボヤけていって、いずれどうでもよくなる。だからこそ、どうしても時間だけではどうにもならないことは、しっかりと自分で向き合わなければならないのだけれど、とにかく時間さえ立ってくれれば、その間なんとか暮らしを続け、生き延びることができれば、たいていの物事はなんとかなる。ということをある程度生きていて学んだ。

時間さえ動いていてくれれば大体なんとかなるのだ。
特に辛い時、視野はどんどん狭くなっていって、このままずぅっと辛いのが続くんじゃないかという気になるが、そんなことはない。時間が経てばその辛さに慣れることもあるし、辛さの原因自体がなくなることも多い。
それで、時間の動きを、世界の変化を、どうすれば一番実感できるかと考えてみると、そもそも頭の中の思考は、時間が動いてなければ動かない。つまりは、どんなに辛い思いの中にいても、そこに思いがあるということ自体が時間が動いていることの証であると言える。
そう思うと、すぅーっと肩の力が抜けて、そうか、何もしなくても、こうやって時間が動いているのだから、僕は大丈夫だと思うことができる。一種の暗示のようなものだと思うが、宗教などで愛を語るのも基本的には同じ原理だろうと思う。自分の思いや感情の中に、神様の存在を、その愛を感じることで、満たされ、救われるというわけだ。僕が季節の変わり目や、水の流れや、木の葉や花びらが舞うのをみるのが好きなのも同じ理由かもしれない。

時間をかければいいというわけではないが、時短にこだわれば愛情は希薄になるし、時間に余裕があれば込められる愛情も、焦って余裕がなくなれば疎かになる。やはり、愛と時間は密接に関係しているのだ。

宇宙が広がり続けているから、時間が前に進むという考え方があるらしい。宇宙全体が神様そのものだとすれば、神様は大きくなり続け、その中で僕たちは動き、感情や思いも動く。
そうしてその時々の思いが、心のずっと奥の方にある説明のつかない思いが、人を動かし、縁を結び、時代を動かしていく。そこには人間に意識や意志が生まれるずっと前から潜在意識に埋め込まれた何かとてつもなく大きな力が関係しているのかもしれない。


今この瞬間何を好きになるかは選べない。それはその瞬間に至る前に決まっている。それを理屈が勝手にあとから付いてまわっているのだと思う。
であるからこそ、今好きな物や人を、それを共有できる人たちをとても愛おしく、大切に思う。
若い時、まだ自分という存在を手放しに委ねられる人に出会う前は、好きになった気持ちをどうすればいいのか分からずに混乱した。自分が男だということも少なからず関係しているかもしれないけれど、とくに自分の性欲にはいつも惑わされ、人を傷つけ、同時に自分も傷つけてきたように思う。今は男でも女でもあぁこの人は好きだなぁと思ったら、その先のゴールのようなものを必ずしも目指す必要はないし、大人として一定の距離は必要だと思うけれど、素直に大切に接することができる。怖がらずに、自分はあなたのことが好きですよ、と行動に表してもいいんだと少しずつだけれど思えるようになった。それが次の縁を生み、時間を推し進め、世界を変化させ続けていくのだ、と思えるから。

12/15/2016

ハナ


ちょうど一年前に個展をさせて頂いた中目黒の美味しいレストラン、シェリールカブレにて12月15日からグループ展が始まります。花をテーマに1点描かせてもらいました。来年1月末までやってます。どうぞ気楽にお食事がてら寄ってみてください。(上は作品の一部。)
I'm in this group show at this restaurant in Tokyo, where I had my solo show a year ago. It goes from Dec 15th till the end of Jan 2017. The theme was simply "flowers," and I just dropped off a freshly made painting. Please swing by if you're around!


12/06/2016

美術部第12回:Still Life

Still Life(静物画)を描こうということで、参加者おのおのに好きなものを持ってきてもらって、テーブルの上にランダムに並べて描きました。

好きなものを描く、というのは僕が絵を描く上で一番土台にしているもの。子供が恐竜だったり、車だったり、女の子だったりを描くのと同じで、自分が何かを好きだと感じた時に、絵を描くという行動が、一番体にしっくりと馴染む。よく見て、認識して、自分というフィルターを通して記録する。逆にいうと、描くという行動を通して、その対象に対する自分の感情を実態を伴った何かとして認識することができる。

またよく思うのだけど、自分が今、何が好きかというのは、自分の潜在意識に結びついていて、好きな理由を理屈的に並べることはできるけれど、結局は好きという感情が先に起こり、あとから意識がそれを正当化しているような気がする。もともともった自分の特性とか、そこに至るまでの記憶の積み重ねが、何を好きになるかを意識するよりも先に選択しているんじゃないか。意識して未来に好きになるように努力することはできるけれど、現時点で好きなものは理屈をともなった意識の選択ではないと思うのだ。

そして、僕たちは思った以上に好きなものでできている。好きなものは正しくみえるし、美しくみえる。好きなものを共有することで、自分自身を共有し、それを否定されれば少なからず傷つく。好きな人が好きなものを好きになり、自分が好きなものと同じものが好きな人を好きになる。そうやって好きの範囲は広がり、その輪の外のものは、興味自体がないか、醜く見えたりする。そうやって好きとか嫌いが世の中の見え方を色付けしていくのに、もともとの感情は常に変わり続ける。好きだと思っていたものにもいずれ飽きがくるし、嫌いだったものでも距離を置けば懐かしく感じたりする。

一方、愛とは意識を伴った選択だ。極端に言えば嫌いなものだって愛することができるわけで、いわば自分の変わり続ける潜在的な感情に対する意思の決定の表明のようなもの。人を、何かを本気で愛することは、好きで居続けることではない。変わり続ける自分の感情を理解し、それでも、注意深く耳を傾け、時間を分かち合い、受け入れ続ける覚悟を持つということだ。そして、好きだという気持ちに意識の力が上乗せされた時の浸透力は凄まじい。


気がつけば熱くなりすぎて絵を描くということから話がすっかりそれてしまったけれど、でも、そんなに関係ない話でもなくて、僕が絵を描くということは、自分が好きだと思ったものに対する愛情表現なのだということが、ここ数年でやっとわかってきたんです。

そんなことを思った美術部第12回。みんなそれぞれに何かを感じて何かを残してくれたんじゃないかと。

11/26/2016

シュロテン

この度、挿絵と文章で参加させて頂いた文芸誌「棕櫚(シュロ)第5号」の発売を記念して、明日からマルカフェで棕櫚展が開催されます。クリスマスまでの約1か月ほど。僕の挿絵も2点あるし、棕櫚も購入できるし、ご飯すこぶる美味しいし、中の人をはじめそこに関わる人みんなで作られていっているような不思議で素敵な空間です。明日27日(日)は13時から開催を記念してちょっとしたイベントもやってるそうですよ。
営業時間をサイトでチェックして是非お立ち寄りください。
http://ameblo.jp/malucafe/entry-12222635192.html

11/08/2016

Listen to Your Heart

奥さんの個展が東京三宿のギャラリーUnicaにて11月8日(火)から13日(日)までやってます。

僕も主に夕方頃からですが11日(金)以外は毎日アシスタントとして在廊予定です。
ぜひ彼女の空間を通して聞こえてくる音を体験しに来てくだい。

Yu's exhibition will start on Nov 8th(Tue) till 13th(Sun) in Mishuku, Tokyo. We successfully installed all the goodies today! Come visit and experience your own sound in her space.

https://www.facebook.com/events/194685860941660/


http://unica.link/events-news/exhibition/1998

10/31/2016

シュロ

マルカフェの文藝部が年に一回発行している総合文藝誌「棕櫚」の第5号が11月に発売します。今回は文藝部と美術部の初のコラボ!、ということで、特集は「挿絵と物語」。
僕も石川友助さんの小説「スパイス」に挿絵で参加させて頂き、さらに調子にのってアメリカでの生活から去年の日本での個展に至るまでの話を載せて頂きました。


去年の個展が終わったころから、ちゃんと言葉にしたいのにどうしてもうまくまとまらずにもやもやしていたものがあって、これはいい機会を頂いたとはじめは気楽に思ってたんだけど、でもいざ書き始めようとすると、初めての緊張はあるし、どんな形であれ本になるという重圧はあるし、何よりも考えが支離滅裂すぎてなかなかまとまらず、なかば諦めかけていて、そこで、初めてなのだし、重い話は置いといて、まずは自己紹介をするような気持ちで書こうと、少し力を抜いて書いてみたら、なんとか一応まとめることができました。あいかわらず廻りくどい言い回しは多いけれど、まぁ自分らしいと受け入れられる程度になったかな。


なかの真実さん作画の表紙も秀逸で、美術部作の挿絵も実に素晴らしいです。参加作家さんの小説を読むのもとても楽しみ。自分の作品を通して、自分が素敵だと思う人たちが作るものに繋がって、また逆に自分の元に繋がってくれることも嬉しい。なんだかこうやって、時間や縁の流れそのものになれるような感覚は素敵だなぁと思うわけです。


棕櫚について詳しくはマルカフェさんのブログにて

ちなみに上の絵は僕の描いた挿絵のラフスケッチ。下の絵はなかのさんの描いた表紙。



9/07/2016

美術部第10回:抽象画


無事大量のゾンビを描く大仕事を終えました。詳しくはまた公開されてから発表しますので乞うご期待。


さて、記念すべき美術部第10回は抽象画の会。大学のころ授業でやった実験的なペインティングを共有できたらと主催させてもらいました。
本当なら実演したいところだったけれど、時間も限られているし、ざっくりとアクリル絵具について説明。おそらく情報ばかりでよくわからなかっただろうなと思うけど、こういうのはとにかく体を動かしてみたほうが早い。


自分の描いた完成品が上。なんだか掴みどころがなくて、とても途中っぽい。時間が来て終わったから実際途中なのだけど、まぁ中途半端だな。試しては塗り、削り、また塗りを繰り返すこの作業。行き当たりばったりなのが作業の面白さではあるけれど、全体的にこじんまりとしたことを繰り返した結果こじんまり感を抜け出せなかった。下準備としてサンプルで適当に作った下の絵のほうがまだ面白い。何度となく言っていることだけれど、自分の精神状態は面白いほど絵に出てしまう。きっと主催者として大きな失敗をしないようにうまくこなしたいと思っていたのだろうな。

なにはともあれ、みんなそれぞれに面白い抽象画を描かれていて、変な言い方だけど、いいなぁと思った。




さて、家に帰ってふと気になって大学の頃に描いた抽象画が残っているかなと探してみたらちゃんとアーカイブしてました。すぐ下のタイル状のが今回の美術部と同じように実験的にいろいろ試したもの。約3時間の1回の授業でたしか全部描いたと思う。そしてその下のは、Abstraction (抽象化?)のプロセスを学ぶための授業で左のリアルなものから順にどんどん抽象具合を強くしている。

当たり前の話だけど、抽象と具像、なにも相反するその2つにすべてはっきり分けられるわけではなく、その間は段階的に繋がっている。しかもその間をいったりきたりする自由が作り手にはいつも与えられている。構図を考える時は、シンプルに抽象化された形から始まり、細部を足していくなかでリアルになっていくけれど、さらに寄っていって拡大されたミクロな世界はまたとても抽象的な色や形の組み合わせでしか無くなる。まるでカメラのピントを合わせるように、現実世界で見てるときと同じ距離でみる時だけリアルであるだけで、それ以外の焦点の時には抽象的な別次元の世界が存在するみたいだ。そして、その現実的に見えるかどうかの距離感は、人によって微妙に違うのかもしれない。









7/27/2016

キイロ

なんかバタバタしてるなぁ。余裕がない。
きっと長期に渡って取り組んでいたプロジェクトが佳境を迎えているからな気がする。

だから、というわけでもないけれど、気の抜けた顔の自画像。
なんとなく。

すっきりしたいものです。

7/07/2016

OK OKAY MAG

OK OKAY MAG というオンラインマガジンに掲載されました。(英語です。)

こうしてランダムに世界の誰かに見つけてもらえるのは、本当に嬉しい瞬間です。認められたいという欲を否定してしまっては前に進めない。けれどもその欲に酔ってしまうと底なしの欲に飲まれてしまう。しつこいようだけど、ちょうど中間あたりがいいんだろうね。

2/24/2016

美術部第5回:切り絵


マルカフェ美術部第5回目は、Yuを招待して頂いての企画: 言葉と切り絵。

残念ながら当日体調不良でYuは欠席だったけれど、なんとか引き継いで無事終えることができた。緊張してうまく喋れなかったと思うんだけど(ポートフォリオをまわしたけど、アーティストのこととかあまりちゃんと説明できなかった気がする)、まわりのありがたいフォローもあって、ザックリとした説明でも、皆あっという間に創作ゾーンに入り込んでいて、むしろ、自分のに取り掛かろうと思ったら  あれ?何も思い浮かばない と思って焦った。

あらかじめ用意した名詞、動詞、形容詞、副詞の4種類の言葉から無作為に一つずつ、計4つの言葉から2つ以上を組み合わせて、それを原点に、切り絵(基本的にはその場で描くことをしなければなんでもあり)で表現する。自分の選んだ言葉は: とがった、ぐるぐる、つなぐ、花。

ものを作る時、しゃべる時にどんな言葉を使うかを選んで喋るのと同じように、ガサゴソと自分の持っているvisual languageのひきだしを探る。それは絵を描く時は、線であったり、点であったり、塗りつぶし方による質感だったり、色だったり、それを無限に組み合わせながら、こう表現したい時にこうするとこんな見え方をしたことがあるとか、たまたま出来た気に入った組み合わせとか、今までに蓄積された経験や体験を意識と無意識を行ったり来たりしながら、頭ん中と体ん中を探りながら作っていく。今回、紙をチョキチョキ切り始めて、ひきだしを開けてみたら、ほとんど何にも入っていない事にまずとにかく焦る。こんな時は、英語が喋れなかった時に周りの言葉をとにかく真似てみたり、日本に帰ってきて社会人の喋り方や書き方を真似たように、とりあえず真似るしかないと、ひっそり周りを観察。あとは体を動かしているうちに、赤ん坊が周りの言葉を真似しながら少しずつ自分の言いたいことを喋るように、やれること、やりたいことが少しだけ見えてきて、また絵を描くときと共通に使える言葉を発見したりもして(紙を重ねていく作業はPhotoshop のレイヤーに似ている)なんとか形にすることが出来た。ふぅ。


こうやって自分に不慣れなことをして体を動かすと、初めは焦るし、緊張するけれど、次第に新しい扉が開く感じがして気持ちがいい。美術部ではなるべく積極的にそういう経験をしていきたいと思っているのだけど、こういうのって周りに共感・共鳴できる人がいてくれるだけで、一人では出来ない発見もあるし、とても心強くありがたい。実に愉快で至福の豊かな時間を頂いていると思う。


そうそう、おかげさまでYuもすっかり良くなってきました。ご心配おかけしました。



おまけ: 切ってる途中で出来たパーツで結局使わなかったものがあったのだけど、家で道具を片付けていた時にふと見たら、うまい具合に重なっていて、あ、これでいいじゃんと思って写真に撮ったら下のようになった。ぐるぐるつなぐ花。






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1/22/2016

終わりの終わり


先週の土曜日を最終日に個展は無事終わりました。
日曜日に搬出を終え、今週前半は少し仕事に追われていたけれど、なんとかこなし、昨日と今日で個展の事後処理もだいぶ片付きました。あとはご注文頂いた作品の額縁が届くのを待って額装して納品したらひとまずおしまいです。

はぁー、疲れました。でも楽しかった。
今回の個展は日本で初めてだったのもあって、やる前からいろいろなストレスを想定していたけれど、確かに個展前はたくさんストレスもあったけれど、いざ始まって、人に会って、いろんな話をして、話を聞いて、いろいろな記憶や想いが自分の体と頭を通り抜けて行く感覚は何ものにも代えがたい貴重なものです。

言いたいことはいろいろあるのだけれど、頭の中にある言葉や感情が多すぎて、まだまだまとまらない。できたらこのブログにも少しずつ言葉として綴っていこうと思うけれど、このあやふやなカオス的なものは、きっと少しずつこれから出来る作品に否応なく滲み出ていって、それを見て、またそれを見た人の話を聞いて、少しずつ理解していければいいなと思う。遠回りで時間もかかるけれど。そういうわけで、この先できる作品も気長に楽しみにしていただければと思います。ありがとうございました。





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12/02/2015

個展: resurface



個展の告知です。

会期:2015/12/7(月)〜2016/1/16(土)
オープニングレセプション:12/10(木)18:30〜
場所:中目黒のレストラン・シェリールカブレ


現実と夢、自然と人間、生と死。
すべての二重性は突き詰めていくとその真ん中あたりを浮遊する。

東日本大震災をきっかけに生まれた心の葛藤と世界とのつながりについて描かれた作品群の展示です。気楽にお食事がてらお立ち寄り頂ければ幸いです。


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シェリールカブレ
〒153-0061東京都目黒区中目黒1-6-15 1F
03-6303-1142
中目黒駅徒歩5分
Google Map https://goo.gl/maps/Yk33UYfeoqM2

月〜金 11:30~14:30 (14:00 ラストオーダー)
    17:30~24:00 (22:00 ラストオーダー)
 土  17:00~24:00 (22:00 ラストオーダー)
日・祝 休日(ご予約は承っております。)

https://www.facebook.com/CherirCabre/
http://cafe-cherir.com/cabre/





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11/09/2015

Happy Birthdays


告知です。
妻、Yu Cottonwellの個展です。

11月11日(水)から15日(日)まで。
場所は去年と同じ場所、世田谷区太子堂1−1−13。でも新しくUNICAという名前とともに生まれ変わっています。妻は終日在廊します。僕は初日と最後の日は確実にいます。明日の10日、いよいよ搬入。一番緊張するけど、わくわくする。

今回のテーマは誕生日。みんなが生きている毎日を祝おう。是非お越しあれ。




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9/30/2015

Witchblade

着彩のみの仕事。アメリカ時代の同僚が描いたコミックブックのキャラクター。自分は知らなかったけれど、アメリカのコミックファンの間ではそこそこ有名なキャラらしいです。自分が普段描くジャンルとは違うものを、分からないなりにも資料をいろいろ見ながら、自分なりに納得できるように作業していくのはとても勉強になる。体力使うけど。

linework by Isaac Goodhart


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6/30/2015

インタビュー


友人の紹介でMediArtの植田くんにインタビューして頂きました。
改めて喋ることの難しさを痛感。いい経験になりました。

インタビュー記事はこちら






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3/07/2015

アダチ




友達が島根県にある足立美術館というとても立派な庭園で有名な美術館のウェブサイトのリニューアルという大仕事を任された。そして、そのおこぼれとしてそのサイトで使うイラストを数点描かせて頂いた。一つはその庭園のマップ。もう一つは館内のフロアマップ。まーどちらも至って事務的な内容の絵なのだけど、こんな大仕事を任せてもらえるその友達はすごいなーという話。

その美術館のページはこちら


ついでに、制作の途中でボツになってしまったもうちょっと斬新な庭園のマップがこの絵。せっかくだからここに載っけてしまおう。たしかにマップにしてはアピール強すぎてサイト全体と調和しづらいし見づらい。完全に力みすぎた。絵としては面白いと思うのだけど、やっぱりデザインって難しいなと思う仕事でした。こんな仕事をわけてもらえてありがたい限りです。



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10/26/2014

Her Stories; Afterwards


Yuの個展の写真を忘れないうちにアップします。1週間の比較的短い期間だったのにも関わらず、非常にたくさんの人が足を運んでくれて、たくさんのフィードバックとインスピレーションを頂けました。傍でみているだけでも、よい刺激をたくさん受けました。



以下はYuからのメッセージです。




会期中は、
家族、友達、アート関係のお知り合い、
織り工房の方々、職場の方々や、
スタポファミリーさん達などなど、
たっくさんの方がお越し下さり、
シアワセいっぱいの1週間でした。

いつも、皆さんにもらう
インスピレーションからものづくりをし、
出来上がった作品を
また皆さんに観ていただける… 
そうして、私や作品たちは
成長していけるのだと
改めて思いました。

スターポエッツさんにて
個展を企画していただき… 
何かあたらしい始まりな
気がしてなりません。

どこまででも泳いでいけそうな 
深い空を見つけたと感じます。

ありがとうございます。

Yu Cotton-well



























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