2/21/2021

ショウメイシャシン

 

急遽必要になった息子の証明写真をiPhoneでパッと撮ったら思いのほか少年になっていた。


1/08/2021

OX

 


あけましておめでとうございます。

あまり難しい事を考えず、抽象画を描くように身体を動かしたくて、まず土台の線画を描いて、あとはガシガシ色を重ねてこのウシを描きました。

2021年もしばらくは引き続きこんな世の中になりそうですし、あまり計画に固執せず、気持ちが変われば少し前の自分を塗り潰すことも時には恐れず、でも、何か一本突き抜ける柱のようなものを、年の終わりに少しでも感じることができればいいなぁと思います。

久々にクロッキーを描きに行きたいなぁ。

今年もよろしく。XOXO

12/03/2020

コエ


頭の中がうるさい時がある。

中学校ぐらいからずっとあることなので、今更改めて言うことでもないような気もするけれど、こうして文章で書くと落ち着くことが多いので、あえてそれをブログに載せることにした。あとで消してしまうかもしれないけれど。


人と会ったり話したりすることは、基本的には好きになった。もちろん相手は選ぶが、昔に比べたら人への興味はずいぶん強くなったと思う。20代のころは自分のことで精一杯で人の話なんて全然聞いていなかった。


人と話すと頭の中の声は多くなる。きっとうまくいえなかったことや、相手の言い分や自分の言い分の折り合いの付けどころのようなものを頭の中で反芻してしまうのだろう。言いたいことをその場で率直に言う事が苦手なのでこういうことになる。こんなのはそんなに珍しいことではないんだろうなと勝手に思っている。


例えば、お金でなんでも解決してしまおうという価値観の人がいる。全然いいと思う。しかし、それだけでは、何か種のようなものが残ってしまったり、繰り返すことで感覚が麻痺してよくわからなくなってしまったり、想像力が育たなかったりするんじゃないかという自分の価値観がある。


いろんな価値観があって然るべきだと常々思っている。しかし、話し手の価値観を上手く飲み込めていないんだろうなと思う自分の心の声がある。自分の美学や哲学の根本を揺るがすようなことであったりするから、自分の価値観を維持できなくなるような気がして不安になってしまうんだろうか。そして、その自分の美学は本当に自分のものか、相手はどうだ、とかなんとか思っているうちに、そもそもそんなこと、一人の人間である自分に判断できるはずがないのだと、少しあきらめたり、あきらめてしまっては前に進めない、こういう思考の集合体がヒトという種を前に押し進めるのだと思ったり、いやいやそもそも進むということ自体がナンセンスで、自然の中でいろんなことに巻き込まれながらただ在るだけで、あとは全部エゴの戯言にすぎないのだなんて、頭の中で言い合っているうちに、最初の話はぼやけていき、こういうのも全部今までにどっかで聞いたことのある話の集合体でしかないのだと、また自分の主体性に不安を抱き、結局のところ自分を中心に見てほしいのにその願望がうまく出せないだけなんじゃないかと、自分のエゴの強さを訝る。夢の中でも自分をよく見せたい、ベストの自分を人に見せたい、わかってほしいと葛藤している自分がいる。


とこんな具合に頭の中の声がうるさい。




11/06/2020

シモツキ


11月。コロナは変わらず。某国の大統領選がニュースを独占し、なんだかこんなこと言うのもあんまりだけれど、帰ってきてよかったなと正直思ってしまう。選挙権があればね、もっと思うことや行動できることもあるけれど、あっちではなかったからなぁ。


最近も変わらず、寝て、食べて、登って、描いて。割と規則正しく生活しております。いろいろあるけれど、仕事があって、街が平和であることに感謝です。

彼もスクスク伸びています。3歳児。立って歩き出す前にいったいどこまで身長を伸ばすのでしょう。彼のベッドがだいぶ小さく感じるけれど、いつも半分にきれいに折り畳まれて寝ているので、もうしばらく大丈夫だと思います。



10/09/2020

インクトーバー2020

 


今年もインクトーバーやってます。

スケッチを描くきっかけが欲しくて、ふらっとはじめました。1ヶ月間、2日に1回のペースを守れるように頑張ろうと思います。なぜかインクトーバーはシンプルなコンセプチュアルな絵を描きたくなる。

気になる方はインスタで。

去年のはこちら


追記:インクトーバー終わりました。今年も楽しかった。なんだか今年は自分がフォローしている人でやっている人は少なかったな。



9/12/2020

スケッチ

 

最近あまりスケッチを描く気がしない。少し前、まだ梅雨の真っ只中だった頃に、1ヶ月以上かけて大きな絵を描いてからかもしれない。

絵は描いている。ずっと前から進行中の大きなプロジェクトも少しずつだけれど進めている。

なぜかスケッチを描く気がしない。たまに描いてみても、なんだかペン先が気乗りしてない感じがして気持ち悪い。

手軽にひょいひょいっと描くのは心地が良くて好きなのだけど、なぜだかその辺りの筋肉を動かすことを欲していないのか。コロナだったり、暑かったりであまり外に出ていないのも一つの要因かもしれない。

きっと涼しくなればまた空気を感じるように描きたくなるとも思うのだけれど。

8/05/2020

寛容は不寛容に対しても寛容になるべきか



長い梅雨が終わり、夏がきた。山のようにでっかく、海のように広い心を持ちたいと思っている。しかし、あいもかわらず自分の心はありんこのようにちっちゃくて、いつ踏んづけしまうかわかったもんじゃない。そんな自分自身を許容する気持ちが大きな心を生むような気もするし、大きくなりたいと思う欲が自分を成長させるという側面もある。何事もバランスである。

7/06/2020

大きな絵


2ヶ月くらいかけて描いていた大きな絵がひとまず完成した。
訳あって公表することはできないのだけれど、今までで一番大きいと思う。
去年8x3メートルというのを2枚描いたけど、今年は1枚で14x6メートル。
別に大きさ自慢をするわけではないし、大きければいいわけでもないが、大きさ故の大変さと大きさからくる満足感は確かにあるもので、ふぅっと大きな息が自然と漏れる。

なかなか最後の方まで全体像が頭の中で掴みきれず、本当にこのまま進めていてちゃんと完成するのかと何度も不安になった。面白いもので、長い時間かけて同じ絵ばかり見ていると、日によって見え方が変わり、ものすごく自信たっぷりにいられる時と、不安でしょうがない時があって、自分の体調が絵を通して見えてくるような気がする。同じことを繰り返し繰り返し語り続ける聖書が日によって違うメッセージを届けているように見えることに似ているかもしれない。禅の瞑想にも似たようなところがある。書いたことはないけれど、長い時間をかけて書く小説なんかも同じ効果がありそうだ。要は外にある事象を通して内なる世界を見ているわけだけれど、そこにある軸みたいなものの性質が似ている気がする。

いや、しかし、本当に完成してよかった。
大きな仕事を終えると身軽になってなんかいろんなことができるような気がするのだけど、気がするだけで、あっという間に日常は戻ってくる。でもそれでいいんだと思う。

6/02/2020

空間を描くということについて



先日、オンライン美術部の題材としてマルカフェ店真を送って頂いて、360度レンズにまるような形でを描いた。前からこうやって個人的な空間をこまごま描く作業が好きで、自分の家や、人の家、アーティストのアトリエとか、たまに描いてきた。

題材も手法も特に珍しいものではない。
だから描き方についての明は割愛するとして、どうしてこの作業が好きなのか考えてみることにした。


を描くという職業がら、どうやってものが見えているのかと不思議に思われることがある。自分も自分より上手い人たち(星のほどいる)のことを同じように思う。

人のことはよくわからないが、自分に関していうと、ものを見ている時は、を描く描かないに関わらず、“把握”しようとしている。どのようにその空間に存在しているのか。もっといえばその空間において、ものがある領域とものがない領域の関係性みたいなものを延々とみている。距離とか角度とか形とか質感とか理由とか因とか歴史とか役割とか根とか思想とか哲学とか、そういうものを総合的に把握しようとしけている。

ものが一つそこにある(もしくはない)ということは、そういういろんな要素をてそこに存在(不在)するのだ、ということまで常に考えているわけではないけれど、その片のようなものを感じけているとは思う。

そして、を描くという行為は自分にとって一番しっくりくる、その把握のための作業なのだ。文筆家が文章に書くことでものごとを認識するように、を描くことでその空間を自分の中に取り込んでいく。そのあとも化しけてしまうので、それで終わりではないのだけれど、ひとまずその瞬間において自分の中にすとんとおさまる。

だから部屋をぐるっとひとまわり描くと、とても安心できる。まさにふぅっとひと息ついてほっとできるのだ。真ではなく直接その場でみて描く方が好ましいけれど、とにかくそこのあるものをみて、それについて思いを馳せ、そしてに落とし込む。必ずしもリアルに忠実でなければいけないわけではなく、その関係性が自分にとってしっくりきたら、それでいい。そして、それができるとよくれる。

5/08/2020

みどりのこ

今年もみどりの日につくるさんが誕生日を迎え3歳になりました。

あたりまえかもしれないけれど、0年目も1年目も2年目も3年目も自分の心持ちがぜんぜん違う。

何はともあれ元気であることはありがたいことだ。いろいろ書こうと思ったけれど、とりあえずこれだけ。