8/01/2016

おタカさん

木綿とおばあちゃんの大切な大切なひと時。
木綿のお姉ちゃんが写真に撮ったものを大事に使わせてもらいました。
多くの人に心に響くと言ってもらい、一層嬉しい一枚となりました。
96年も生き抜くってどういうことなのか僕にはまだまだ全然想像つきません。

7/27/2016

キイロ

なんかバタバタしてるなぁ。余裕がない。
きっと長期に渡って取り組んでいたプロジェクトが佳境を迎えているからな気がする。

だから、というわけでもないけれど、気の抜けた顔の自画像。
なんとなく。

すっきりしたいものです。

7/07/2016

OK OKAY MAG

OK OKAY MAG というオンラインマガジンに掲載されました。(英語です。)

こうしてランダムに世界の誰かに見つけてもらえるのは、本当に嬉しい瞬間です。認められたいという欲を否定してしまっては前に進めない。けれどもその欲に酔ってしまうと底なしの欲に飲まれてしまう。しつこいようだけど、ちょうど中間あたりがいいんだろうね。

7/06/2016

figure drawing #58


いつもとは違う、新たに知人に教えてもらったクロッキー会に参加してきた。朝から夕方まで丸一日というなかなかハードなスケジュール。

最近不眠気味だった躰に鞭を打って行っただけの甲斐があり、とてもとても楽しい時間を過ごすことができました。

あぁそうだよね、人を描くってこうだよねって、マンネリしてきていたもう一つのクロッキー会の不満点を再確認してしまった。薄々感じてはいたけど、やはりモデルさんの生き生きとしたポーズに、描かずにはいられない、描かされる感じが自分は好きなようです。(言うまでもなくこれはあくまで個人的趣向です。面白くないポーズは上手く描けないという自分の画力の無さとも言える。)

また丸一日。長いけれど、長いからこそ腰を据えて、違う画材を使ったりといろいろ試すこともできる。頻度を減らしてその分一回を長くするのもありだし。いっその事乗り換えてしまおうか…






6/20/2016

figure drawing #57


つい先日のクロッキー。あまり悪く言いたくはないけれど、なんだか覇気のないモデルさんだった。こんなに描きたいと思わなかったのも久しぶりだ。それは自分だけではなかったようで、部屋全体からどんよりと退屈そうな空気がにじみ出ていたように思う。手が止まってしまっている人もいたし。機転を利かせて、最後5分ポーズを増やしてくれて、やっと活気が戻って楽しむことができた。5分ポーズはいい、5分ポーズはいいと、繰り返し言っている人が印象的だった。

6/19/2016

チチノヒ

父の日ですね。
愛する野菜を見つめる少し疲れた顔。
日本に帰ってきた大事な理由の一つに家族との距離感がある。

自分と妻の家族を知ることは自分と相手とその関係を知るのにとても大きな手助けになる。その距離感はそれぞれの時代や環境に合った距離があると思うし、家族と呼ばれる存在のあり方もそれぞれあると思う。飛行機で12時間ぐらいかけて数年に1度くらい会えるのが丁度いい人もいれば、毎日会って確かめたいことがあるかもしれない。

16歳で寮生活を始め、19歳でアメリカに渡ってしまった僕は、自分のことで精一杯で30歳も半ばを過ぎてやっと自分の家族に正面から目を向けられるようになった。毎日10時間10日間も瞑想をしに行った時も、家族のことに一瞬でも想いが至ったのは全てが終わって何気なく歩いている時にふと、あ、そういえば、と思うだけだった。
自分の存在をまるっと受けれてしまった時、それまで大嫌いだった父も一緒に全部飲み込んでしまったような不思議な感覚があって、憎悪は跡形もなく消えて、これまで積み上げてきた自分の歪んだ傾向と習慣と、向き合うべき現実だけ残ってた。

帰国して2年半。父親は変わらず元気そうに畑仕事に精を出している。自分も相変わらず自分のことに大忙しで、日々の大半は家族のことなど忘れて、同じ日本に住んでいても、自分の家族に会うのは年に2回もあればいいほうだ。
それでも、この2年半で、ずいぶん多くのことを自分や妻の家族に教えてもらえたように思う。

6/06/2016

パノラマ

ひと月ほど前に新しく入手したペンを試しに近所の多摩川台公園へ行った時の絵。ペンの走りがとても心地よく、気持ち良くスケッチを終えることができたのだけど、後で見たら自分の筆圧でペン先が結構潰れ、このあとすぐに使えなくなってしまった。筆圧が強すぎるのも問題だけど今更簡単には治らないし、残念ながらこのペンは次は買えない。残念。

描き心地って描く気分に影響するし、その気分は線の雰囲気を変えてしまうと思うから、なかなか大事な要素です。世の中理屈で構築されてるものがこんなにも増えたのに、なんだかんだ言って、概ね人の気分や感情で動いてるからややこしい。

5/24/2016

美術部第8回:御嶽山神社

今回のマルカフェ美術部はマルカフェ真裏の御嶽山神社にて。
真夏日の木陰で、気の抜けた鳩の声と、今にもその辺から飛び出してきそうな近所の保育園児の遊び声を聞きながら、今日も日本は平和だなぁとしみじみ噛み締めるようにスケッチを楽しんだ。いつもよく一人でやっていることを、いつも通りのリラックスした心で(靴まで脱いで)、でもふと横を見ると、気づけばもう8回目になる美術部部員がそれぞれの場所を見つけて各々に描いている。自分の描いた絵を見てもらうのも楽しみで、またそれぞれの捉える世界を見せてもらえるのも楽しみだなぁと思いながら、黙々と描いていた。講評時、タバコの灰まで画材にしてしまうマスターの自由な創作性が特に印象的でした。


実は前夜知り合いの結婚式の二次会で、渋谷という不慣れな街で珍しく遅くまで飲んでいて、二日酔いというほどでもなかったけれど、ふわっと気の抜けた状態で、暑い陽気も手伝ってなんだか夢見心地な時間でした。

5/21/2016

figure drawing #56




5月も気づけばもう後半。毎月恒例のクロッキーに行ってきました。

1枚目を描き始めた時は、「あ、今日は自然に集中してみえるかも」と思ったんだけど、次の瞬間、その大事な集中力はぽろぽろと手からこぼれ落ちてしまい、そのあとは全くと言っていいほど集中できなかった。というか、描くこと自体がとてもだるかった。描く気が起こらない時のクロッキーはとてもつらい。とにかく面倒くさいという倦怠感に頭からすっぽり覆われていた。

きっと今週、特に前日までの二日間、ひさびさにぎゅっと時間の濃縮された仕事をしたので、リソースが切れていたんだろうなと思う。しかし、人生37年でも生きているといろいろ学ぶもので、こんなことも過去に何度もあるし、こんな時はとにかくじっと嵐が過ぎ去るのを待つ。ということを覚えた。すると、このダウンの時間が次を楽しくしてくれるし、この時の踏ん張りがあとあとで力になる。なんにせよ、人間の頭はある程度なんにでも慣れるし、飽きる。そして、大概は時間が解決してくれる。長引くとつらいけど。


今回のモデルさん、にかかわらず、いつもある程度そう感じるんだけど、いろいろ注文を付けられる前半の長めのポーズよりも最後の自由にできる5分ポーズの方が個性も出てくるし生き生きしてて描いていても楽しい。なんかはじめにいろいろ言われているうちにオーラのようなものがシャットアウトされていく感じがするんだよなぁ。描ける人にはちゃんといい絵が描けているし、主催者の大事にしていることもあるだろうし、僕なんかが何か言える立場では全然ないんだけどね。



5/08/2016

ハハノヒ

Happy Mother's Day!!

世界中の母親の皆様、もしくは母親的な皆様。
いつもいつもありがとうございます。

感謝の気持ちを込めて花を描きたいなぁと思って出かけてみたら、ちょうど良い花がちょうど良いところにありましたよ。