4/07/2016

サクラチル

近所の桜も見頃。少し葉が出てきてしまっているけど、散ってるところが一番好きかもしれない。動きがある方が好きなのは、飽きっぽいからなのか、それとも猫的な動物的本能か。


3/31/2016

美術部第6回:店長

美術部第6回目の題材は犬。マルカフェの店長です。
覚悟はしていたけれど、とにかく動く、動く。
たまに人や動物で動くものを描く練習をしたりするけれど、いつもながら苦手だ。
しかし、いつもながら描いていると慣れてくる。時間の流れに目と体が慣れる。

動くものに限らないことだけれど、ものを見て描く時、見たままにすべてを描けるわけではないので、そのもののエッセンスのようなものを理解して、なるべくシンプルな形でそれを抽出することが、ものを見て描く際のコツのようなものだと思っている。とはいっても、目でものを見ると、そこには無数の情報が溢れているので、核心をつかむのが難しい。写真から写す場合はトレースという作業を行えるので、ある程度そのままそこにある情報を単純に移すだけでもそれなりの形になるけれど、実際に見て描く重要性はこのエッセンスの抽出と単純化にあるように思う。

で、とにかく描いていて、後半戦余裕が出てきたので、構図を整えて描いてみようと描き始めて、最初は吹き出しをつけて何か喋らせようと思った。普段からよくスケッチでやる方法なのだけれど、それで、店長を見ながら、うーん、と頭を捻らせてみたのだけど、何も言葉を思いつかなかった。店長は何もしゃべっていなかった。それで、今度は彼の心を絵で捉えてみようと思って描いたのが上の絵。なんかわからんけど、こんな感じに見えた。

下は幾つか描いたランダム描写のうちの一つ。適当なアングルをいろんな色で重ねたりしたら面白いかなぁと思ったけど、全然思ったように描けず、一つだけやっと少しちゃんと描けた。

3/19/2016

figure drawing #54






昨日のクロッキー。とてもリラックスして描けたように思う。モデルさんとの相性みたいなものはやっぱりある。うまく集中できていくと、なんか一瞬時間が止まったようになって、心と体の感覚がぴったり合う時がある。目で見て、それをそのまま紙になぞるように体が素直に動く。でも、それを意識してしまうと、スルスルと手から抜け落ちて、少しずれてしまう。焦ってもダメだし、開き直ったらいいというわけでもない。あの感覚をもう一度という感じで追っていってもやはりダメだ。その瞬間にできるだけ自分を投げ出して、求めずに求める。信念を持って受け入れ続ける。夢の中で自分を操作する感じに少し似ているかもしれない。欲しいという気持ちから生まれているので、欲はいるのだけれど、それを手放しで放っておく感じ。スポーツの試合なんかで、勝つという信念は持ちつつも、勝ちたいという欲を捨てなければいけないというのにも似ている。
突き詰めると、瞑想も、クライミングも、音楽や踊りや食事やゲームや小説や笑い、大げさに言ってしまえば人生そのものが、その瞬間につながっていて、僕はその瞬間こそをとても強く求めているのだということを、何度も何度も繰り返し言われているような気がする。




3/11/2016

アマタノアタマ

個展が終わったぐらいから、アタマの中にぐるぐるあって形にしたいものがあるのだけれど、そしてできるなら言葉としても綴りたいと思っているのだけど、なかなかどうして形にならない。いろいろ絡まったまま溢れさせるだけでは、その中心にある大事な核を共有できない。そんな気がする。せっかくなら、多くの人に伝わる形で残したいと思うのだけど。

仕事や趣味やスケッチ、日常のリズムは、とてもよくいっていると思う。
とても小気味良いリズムで、少し自制し過ぎている感は否めないけれど、自然の流れにもある程度あっていると思うし、もう少しこの調子で、辛抱強く手繰っていけば、ガチャガチャのようにゴロっと心と体のあいだ辺りから何か出てくる予感がある。そうあってほしい。

2/28/2016

二度あげる花

一度あげた花を今度は絵に描いてあげる。絵に描いて、やっと、あぁこの花をよく見て楽しんだなぁ、と思ったりもする。Back To Natureという多摩川の花屋さん。落ち着いた素敵なセンスで、なんだかいつもと違う緑多めの花束を(緑のペンを持っていないので絵には反映されてないけど)、ゆっくり楽しませていただきました。

2/25/2016

Figure Drawing #53

先月行けなかったので、二ヶ月ぶりのクロッキー会。二ヶ月前と同じモデルさんだった。とても綺麗でいいモデルさん。



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2/24/2016

美術部第5回:切り絵


マルカフェ美術部第5回目は、Yuを招待して頂いての企画: 言葉と切り絵。

残念ながら当日体調不良でYuは欠席だったけれど、なんとか引き継いで無事終えることができた。緊張してうまく喋れなかったと思うんだけど(ポートフォリオをまわしたけど、アーティストのこととかあまりちゃんと説明できなかった気がする)、まわりのありがたいフォローもあって、ザックリとした説明でも、皆あっという間に創作ゾーンに入り込んでいて、むしろ、自分のに取り掛かろうと思ったら  あれ?何も思い浮かばない と思って焦った。

あらかじめ用意した名詞、動詞、形容詞、副詞の4種類の言葉から無作為に一つずつ、計4つの言葉から2つ以上を組み合わせて、それを原点に、切り絵(基本的にはその場で描くことをしなければなんでもあり)で表現する。自分の選んだ言葉は: とがった、ぐるぐる、つなぐ、花。

ものを作る時、しゃべる時にどんな言葉を使うかを選んで喋るのと同じように、ガサゴソと自分の持っているvisual languageのひきだしを探る。それは絵を描く時は、線であったり、点であったり、塗りつぶし方による質感だったり、色だったり、それを無限に組み合わせながら、こう表現したい時にこうするとこんな見え方をしたことがあるとか、たまたま出来た気に入った組み合わせとか、今までに蓄積された経験や体験を意識と無意識を行ったり来たりしながら、頭ん中と体ん中を探りながら作っていく。今回、紙をチョキチョキ切り始めて、ひきだしを開けてみたら、ほとんど何にも入っていない事にまずとにかく焦る。こんな時は、英語が喋れなかった時に周りの言葉をとにかく真似てみたり、日本に帰ってきて社会人の喋り方や書き方を真似たように、とりあえず真似るしかないと、ひっそり周りを観察。あとは体を動かしているうちに、赤ん坊が周りの言葉を真似しながら少しずつ自分の言いたいことを喋るように、やれること、やりたいことが少しだけ見えてきて、また絵を描くときと共通に使える言葉を発見したりもして(紙を重ねていく作業はPhotoshop のレイヤーに似ている)なんとか形にすることが出来た。ふぅ。


こうやって自分に不慣れなことをして体を動かすと、初めは焦るし、緊張するけれど、次第に新しい扉が開く感じがして気持ちがいい。美術部ではなるべく積極的にそういう経験をしていきたいと思っているのだけど、こういうのって周りに共感・共鳴できる人がいてくれるだけで、一人では出来ない発見もあるし、とても心強くありがたい。実に愉快で至福の豊かな時間を頂いていると思う。


そうそう、おかげさまでYuもすっかり良くなってきました。ご心配おかけしました。



おまけ: 切ってる途中で出来たパーツで結局使わなかったものがあったのだけど、家で道具を片付けていた時にふと見たら、うまい具合に重なっていて、あ、これでいいじゃんと思って写真に撮ったら下のようになった。ぐるぐるつなぐ花。






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2/15/2016

愛を叫ぶ亀


Happy Belated Valentine's Day!!

こうしてバレンタインに絵をあげるのも11枚目になりました。絵の中の生物のようなものがいろいろと代弁してくれます。




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2/08/2016

絵が好きな男



ふと自分は本当に絵を描くことが好きなのだなと思った。改めて何を今更と思うかもしれないけれど、自分にとってはこれはこれでしっかりとした発見なのだ。

僕は職業として絵を描く。絵コンテやポスターなど、細かい内容の決定はほぼ他者に委ねられたビジネス的ビジュアルコンテンツを提供するために自分の培ってきた技術と時間を金銭という報酬を代償に提供する。要するに食べるために絵を描く。

また僕は個展などに出すための絵も描く。これは僕の中では職業とは違う位置付けがされている。大げさに言ってしまえば、自分がこの世界に生きるために存在する宿命のようなもの。自分のために自分の中から生まれてくるのだけど、それはどこかの人や場所と結びついていて、求めているし、求められている。世界にひっそりと存在する縁や繋がりのようなものを、コツコツと紡いでいくような作業。好きで描いている部分もあるかもしれないが、楽しいだけでもないし、とても突き詰めて、自分を追い込んで、質の高さや品のようなものも強く追及する。ある意味仕事よりもこだわりがあるかもしれない。かといって、これで生活しようとは基本的にはあまり思っていない。結果的にできたら嬉しいけれど、あくまで作る段階では、金銭的生活とはあまり直結しない自分の存在意義のようなものを探求するための絵を描きたいと思う。

これらのものを作る技術を高めるためにももちろん絵を描く。クロッキーなどに参加するのはこのため。スポーツ選手のトレーニングのようなもので、楽しい部分ももちろんあるが、好きなことを持続し、高めていくために必要だと思っている。

そして、僕は息抜きにも絵を描く。人に見せなくてもいいし、下手でもいい。気に入ったものが描けると嬉しいし、共有したくもなる、また個展への作品につながることもあるけれど、前もってそれを考えると息抜きにはなりにくいので、もっとふわっと楽に描く。定期的に、カフェや公園に行って、のんびり気ままにスケッチを描く。単純に楽しく絵を描く。しばらくこれができないでいると、なんかいろんなものが雑になっていく気がするし、シコリのようなものが溜まっていく感じがする。マルカフェ美術部での時間も今はこれに近い。

こうして並べてみると実に絵ばっかり描いている。不思議なのは僕は好きだから絵を描いているというよりは、これだけ描いているんだから、自分はよっぽど絵が好きなんだなと、どこか他人事のように思うところだ。自分の好きとか嫌いとかって未だによくわからない。自分の行動を見て、ああそうかと思うことの方が多い。そして、こうやってたくさん絵を描きながら自分の考えや、立ち位置、周りの人や場所や物事を認識し、価値が定まってしまいそうになるとそれを壊すように努め、自分の心を自由に宙に浮かしていたいと願う。







1/31/2016

Vigor


友人の結婚式のウェルカムボードを描かせて頂いた。
長いアメリカ時代を一緒に駆け抜けたとても信頼する友人の一人。週末都内で式を挙げた。

電撃結婚だったということもあって相手のことは実はまだ全然知らないのだけれど、二人のことを思って描き始めた時に強く頭に浮かんだのは、なぜかとにかく大きいものに立ち向かう姿。彼とはクライミングを通して親交を深めたということもあって、ヨセミテのエルキャピタンという大きな岩山が頭に浮かんだということもあるし、その少し前に大阪で太陽の塔を見て、大きいものに圧倒され、憧れたということもあるかもしれない。単純に大きいというだけで、心が躍るあの感じ、偉大で崇高なものに直面しているという緊張感、そういう思いが頭を駆け抜けたのを覚えている。描いていく工程の中で、わからないなりに二人の関係を想像していたら、次第に余計な色は省かれていって、いつの間にか鳥は純白に、木々の葉っぱは桜になった。力強い躍動と静寂、大きな壁なるものへの尊敬と畏怖の念、そして無謀にもその壁に挑戦していく愛すべき馬鹿さと、その全てを包み込むような優しさ。そんなことを今この絵を見て思う。まだ生まれたてのこの絵が生まれたての友人家族とともにこれから紡いでくれる物語が楽しみだ。





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