引越しをしました。
子供の病院を変えることになって、その近くに。
今までと比べれば辺鄙なところですが、なかなかにいいところです。
自然もあるし、良い散歩道も神社もあるし、近所の公園にリスもタヌキもいるし。
これで子供の入院のことなどに必要以上にびくびくすることなく、穏やかに暮らせたらなと思います。
前よりも海に近づいたので、先日結婚記念日に海まで家族3人ドライブに行ってきました。ごみごみした日本の夏の海は苦手ですが、シーズンオフの海は好きです。
ひらけた景色を見ると、心に何かしらの変化が起きますね。
久しぶりに海風にあたって、帰った後は3人ともぐったり、夜はよく眠りました。
アメリカの市民ホールで結婚して丸10年経ちました。
今までもわりと仲良く楽しくやってきましたが、去年家族が一人増え、より強く楽しく日々を過ごせていることに感謝です。あと40年金婚式を目指して頑張ります。
桜が綺麗に咲いています。
3/28/2018
2/18/2018
美術部第25回:テクスチャ
マルカフェ美術部、今回はtexture(質感)についてのミニ講座をやりました。
数ヶ月前に、干支(戌)を描くという会があって、それに合わせて動物を描くにあたって大切な質感についてやりたいと思い立ったのが始まり。といっても、これまでにやった講座に比べて特にシステマティックな知識や技能を知っているわけではないし、技術的に言えば、Structure、Value、Lineの組み合わせで質感は表現する事ができるわけで。それよりも、もう少し哲学的なことを話したい。さてどうしようか、と考えた。
あえて物語に例えて説明しよう。
まず、Structureが、物語でいうところのあらすじやプロットにあたる。細かいことは抜きにして骨格として何が起こっているのか。起承転結の大筋として、対象が何物で、どうそこに存在し、どう展開するのか、主観ではなく客観的事実を構成する。
Valueは演出といったところ。光と陰を使って、その物語りのムードを演出する。同じ出来事でも、違う演出でガラリと印象は変わる。因みに色もValueの一種として考えている。
Lineは文体のようなもの。同じあらすじと演出でも、言葉の響きやリズムで、ニュアンスがかわり、作り手の個性が出る。
Lineは文体のようなもの。同じあらすじと演出でも、言葉の響きやリズムで、ニュアンスがかわり、作り手の個性が出る。
そしてTextureは、この物語に出てくる登場人物、キャラクターだ。どのような血筋をもち、どのような生い立ちで、その質感を持つことになったのか。例えば、殺人事件の物語の中で、被害者はどんな人物であったのか。どのような親の元に生まれ、どのように育ち、どのようにして事件に関わるようになったのか。そんな細かな質感は物語に深みを与えるように思う。そんな風に考えると、textureとは何かが見えてくる。
そして、それを実際に描くとき、そのtexureを100%正しく再現することはそんなに重要ではなくて、その生い立ちに想いを馳せること、そんな対象に対する愛情のこもった時間にこそ、意味があると思ったりする。
演出を邪魔しないように、相対的な影の重みはある程度維持する必要はあるが、わりと自由に楽しくtextureを描き込んでいくと、活き活きと面白みのある絵になっていくと思う。またtextureを描き込むことは、わりと時間のかかる作業であることが多いので、我慢強く怖がらず自分を信じて没頭することもわりと大事な要素である。もしうまく描けないのだとしたら、それは結局のところ思い描けていないからかもしれない。そのモノの持つ質感を思い描けていたら、時間はかかってもいずれはたどり着けるんじゃないか、そんな気がするのだ。
そして、それを実際に描くとき、そのtexureを100%正しく再現することはそんなに重要ではなくて、その生い立ちに想いを馳せること、そんな対象に対する愛情のこもった時間にこそ、意味があると思ったりする。
演出を邪魔しないように、相対的な影の重みはある程度維持する必要はあるが、わりと自由に楽しくtextureを描き込んでいくと、活き活きと面白みのある絵になっていくと思う。またtextureを描き込むことは、わりと時間のかかる作業であることが多いので、我慢強く怖がらず自分を信じて没頭することもわりと大事な要素である。もしうまく描けないのだとしたら、それは結局のところ思い描けていないからかもしれない。そのモノの持つ質感を思い描けていたら、時間はかかってもいずれはたどり着けるんじゃないか、そんな気がするのだ。
1/03/2018
11/01/2017
Figure Drawing #65
また下丸子のクローキーに行って描いてきました。大きめのクロッキー帳が切れていたのに新調するのをすっかり忘れていたので、A5サイズのいつものスケッチブックに鉛筆で描いたり、ペンで描いたりした。
アメリカ人(おそらく白人)とのハーフの方で、顔つきはもちろん、身体つきも少し違い、アメリカでクロッキーに行っていた時を少し思い出した。西洋で絵描きの基礎を学んだからなのか、アジア人よりも気持ち描きやすく感じる。目鼻立ちの整った描きごたえのある顔で、顔を描くのが楽しかった。
10/31/2017
ソノゴ
つくる君のその後をアップデートしよう。(長いよ)
前回書いたのが8月3日で、それから11日後の8月14日、我が家につくる君が来て3週間。外来で経過を診てもらう予約が入っており、酸素ボンベを背中に、つくる君を前に抱っこして、電車で横浜の病院まで3人で出かけて行った。
外来で診てもらうと、血液中の酸素濃度がかなり下がっているとのことで、急遽そのまま入院する事になる。原因ははっきりとはわからないが、とにかく心臓内の弁逆流が増えている 。また、肺の状態もあまりよろしくない。軽い風邪か、ミルクを誤嚥してしまった跡のように白く写っているとのこと。検査をして、酸素の値が回復するまで退院できないと言われる。まだまだ元気そうにしていたし、なんだかとても残念だったが、身体が成長すればいずれは何かしらの処置が必要だったのだからとわかっていたしと思い、でも、少しでも早く退院できればという期待も残しながら2度目の入院生活が始まる。
10/02/2017
9/19/2017
美術部第20回: 色と自画像
もう前々回の話になるが、マルカフェ美術部で、色を使って自画像を描こうということで、色について簡単にレクチャーさせてもらった。こうすればよかった、あれを言い忘れたなんてものが、レクチャーが終わった後には毎度たくさん出てくるのだけれど、今回も例に漏れず、あーでもない、こうでもないと、騒がしい頭を抱えてしばらく過ごす事になった。その中でも、気になっていることのひとつに、色の相対性というものがある。
色を使って絵を描く上で(というか、光を表現する上で、というべきかもしれない)とても大事な要素の一つであると思っているのだけど、要するに、人の目は必ず相対的に色を見ているはずなので、何に対して青いか、とか、赤いかということを、認識する必要があるという事だ。例えば、人の顔だと、頬や耳や鼻先が赤味がかっていることが多いが、その部分の色だけを抽出してみれば、赤というほど強い色でもなく、光によっては朱色っぽいグレーということもある。その関係性が正しく成り立っていれば、実際の色彩とかけ離れていても、目はリアリスティックであると認識することもできる。明るさを表現するために、影に工夫したりするのも、この相対性があるからだ。補色を使って立体感を表現するのは、実際の色の仕組みを利用しているということもあるが、相対的に目が立体だと認識しやすいように分かりやすい方へ導いているという側面もある。また、だから、と言っていのかわからないけれど、写実的に色で表現する時、真っ黒や真っ白はそのままでは滅多に使わない。何かに対して黒かったり白かったり見えるだけで、実際には黄色味がかっていたり、青味ががっていたりするからだ。
と、ここまで書いてみて、やっぱり文章じゃ分かりにくいなと思った。今度機会があったら、色の講座第2回をやらせてもらおう。
8/03/2017
ツクル
我が家に新しい家族が出来たというニュースは、そろそろ風の便りで届いた頃だろうか。
2017年5月4日,ちょうど1年前に亡くなった彼の曾おばあちゃんの誕生日の前夜に(役所の関係で記録上の誕生日は別の日になっているけれど)2857gで生まれてきた。
名前は 造(つくる)。
芸術に関わらず何かをつくる喜びや楽しさに触れて欲しいという願いから付けられた。
まだ生後3ヶ月、まだまだ何もわからない。無邪気に日々成長してくれている。あっという間という気もするし、いろいろあったので長かったという感覚もある。2ヶ月近く入院し、そのあと病院に近い妻の実家に1ヶ月近く居たため(その間もほぼ毎日通っていたので顔は合わせていたが)我が家に来たのはほんの1週間前。本当の生活はまだ始まったばかり。
名前は 造(つくる)。
芸術に関わらず何かをつくる喜びや楽しさに触れて欲しいという願いから付けられた。
まだ生後3ヶ月、まだまだ何もわからない。無邪気に日々成長してくれている。あっという間という気もするし、いろいろあったので長かったという感覚もある。2ヶ月近く入院し、そのあと病院に近い妻の実家に1ヶ月近く居たため(その間もほぼ毎日通っていたので顔は合わせていたが)我が家に来たのはほんの1週間前。本当の生活はまだ始まったばかり。
ここらでちょっとつくる君の身体のことを記録も兼ねて紹介したい。
6/26/2017
美術部第18回:たべもの
近頃はなかなか私生活に余裕がなく、変な闇の力を出してしまわないかと心配したけれど、描き始めてみたら不思議と心が澄んでいく感じがあって、あぁ楽しいなぁと、しみじみ噛みしめるように、シンプルに描くことを楽しめた。
こんなことを改めて言うのも変かもしれないけれど、文字通り雨の日も風の日も、長い間絵を描いてきてよかったなぁと、バカみたいに最近思う。そして、これから先何十年といったいどんな絵が出来ていくのかを、想像するとワクワクする。そんなふうに思えることに出会えた自分は本当についてたなと思う。人生も環境もフェアなんかじゃないし、辛いことも悲しいことも起こる。世界中は不平等で満ちている。しかし、その全てを飲み込み、力に変え、前に進むもうとする自分がいる。その中心にはいつも絵を描くという行為がある。絵を描いているのか、絵に描かされているのか。
そして、僕は絵を描くことをとおして、答えのない疑問を熟孝していきたいし、答えのないものを形作っていきたい。目で観察して描いてきたからこそ、目に見えない隠された深みのようなものに美しさを感じるし、見えないものを想像する力を大事にしてほしいと願う。幸せそうに見える人が全く問題なく生きてるはずもないし、辛そうに見える人が辛いばかりでもないのだ。眼に見えるものばかりで判断してないで、想像しろよバカヤロウと、アツく叫びたい時が僕にだってある。とはいえ、妄想しすぎて現実が見えなくなっても困るけれど。
そんなことを思いながら、ししゃもの頭にかじりつき、腹から出てきた命のカケラたちに想いを馳せる。
5/22/2017
Figure Drawing #63
四谷クロッキー会。へとへとだったけれど、こんな時こそこれまで培ってきたDiscipline(規律?)が、規則正しい生活が、現実的な行動が、自分を支えてくれるはずだと思って頑張って行ってきた。ふと気がつくと、心はふわっと何処かへ行ってしまう。さらにくたくたになったけれど、お酒の匂いの漂う帰りの電車を降りる頃には、少し清々しい気持ちになってた。
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