2/28/2016

二度あげる花

一度あげた花を今度は絵に描いてあげる。絵に描いて、やっと、あぁこの花をよく見て楽しんだなぁ、と思ったりもする。Back To Natureという多摩川の花屋さん。落ち着いた素敵なセンスで、なんだかいつもと違う緑多めの花束を(緑のペンを持っていないので絵には反映されてないけど)、ゆっくり楽しませていただきました。

2/25/2016

Figure Drawing #53

先月行けなかったので、二ヶ月ぶりのクロッキー会。二ヶ月前と同じモデルさんだった。とても綺麗でいいモデルさん。



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2/24/2016

美術部第5回:切り絵


マルカフェ美術部第5回目は、Yuを招待して頂いての企画: 言葉と切り絵。

残念ながら当日体調不良でYuは欠席だったけれど、なんとか引き継いで無事終えることができた。緊張してうまく喋れなかったと思うんだけど(ポートフォリオをまわしたけど、アーティストのこととかあまりちゃんと説明できなかった気がする)、まわりのありがたいフォローもあって、ザックリとした説明でも、皆あっという間に創作ゾーンに入り込んでいて、むしろ、自分のに取り掛かろうと思ったら  あれ?何も思い浮かばない と思って焦った。

あらかじめ用意した名詞、動詞、形容詞、副詞の4種類の言葉から無作為に一つずつ、計4つの言葉から2つ以上を組み合わせて、それを原点に、切り絵(基本的にはその場で描くことをしなければなんでもあり)で表現する。自分の選んだ言葉は: とがった、ぐるぐる、つなぐ、花。

ものを作る時、しゃべる時にどんな言葉を使うかを選んで喋るのと同じように、ガサゴソと自分の持っているvisual languageのひきだしを探る。それは絵を描く時は、線であったり、点であったり、塗りつぶし方による質感だったり、色だったり、それを無限に組み合わせながら、こう表現したい時にこうするとこんな見え方をしたことがあるとか、たまたま出来た気に入った組み合わせとか、今までに蓄積された経験や体験を意識と無意識を行ったり来たりしながら、頭ん中と体ん中を探りながら作っていく。今回、紙をチョキチョキ切り始めて、ひきだしを開けてみたら、ほとんど何にも入っていない事にまずとにかく焦る。こんな時は、英語が喋れなかった時に周りの言葉をとにかく真似てみたり、日本に帰ってきて社会人の喋り方や書き方を真似たように、とりあえず真似るしかないと、ひっそり周りを観察。あとは体を動かしているうちに、赤ん坊が周りの言葉を真似しながら少しずつ自分の言いたいことを喋るように、やれること、やりたいことが少しだけ見えてきて、また絵を描くときと共通に使える言葉を発見したりもして(紙を重ねていく作業はPhotoshop のレイヤーに似ている)なんとか形にすることが出来た。ふぅ。


こうやって自分に不慣れなことをして体を動かすと、初めは焦るし、緊張するけれど、次第に新しい扉が開く感じがして気持ちがいい。美術部ではなるべく積極的にそういう経験をしていきたいと思っているのだけど、こういうのって周りに共感・共鳴できる人がいてくれるだけで、一人では出来ない発見もあるし、とても心強くありがたい。実に愉快で至福の豊かな時間を頂いていると思う。


そうそう、おかげさまでYuもすっかり良くなってきました。ご心配おかけしました。



おまけ: 切ってる途中で出来たパーツで結局使わなかったものがあったのだけど、家で道具を片付けていた時にふと見たら、うまい具合に重なっていて、あ、これでいいじゃんと思って写真に撮ったら下のようになった。ぐるぐるつなぐ花。






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2/15/2016

愛を叫ぶ亀


Happy Belated Valentine's Day!!

こうしてバレンタインに絵をあげるのも11枚目になりました。絵の中の生物のようなものがいろいろと代弁してくれます。




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2/08/2016

絵が好きな男



ふと自分は本当に絵を描くことが好きなのだなと思った。改めて何を今更と思うかもしれないけれど、自分にとってはこれはこれでしっかりとした発見なのだ。

僕は職業として絵を描く。絵コンテやポスターなど、細かい内容の決定はほぼ他者に委ねられたビジネス的ビジュアルコンテンツを提供するために自分の培ってきた技術と時間を金銭という報酬を代償に提供する。要するに食べるために絵を描く。

また僕は個展などに出すための絵も描く。これは僕の中では職業とは違う位置付けがされている。大げさに言ってしまえば、自分がこの世界に生きるために存在する宿命のようなもの。自分のために自分の中から生まれてくるのだけど、それはどこかの人や場所と結びついていて、求めているし、求められている。世界にひっそりと存在する縁や繋がりのようなものを、コツコツと紡いでいくような作業。好きで描いている部分もあるかもしれないが、楽しいだけでもないし、とても突き詰めて、自分を追い込んで、質の高さや品のようなものも強く追及する。ある意味仕事よりもこだわりがあるかもしれない。かといって、これで生活しようとは基本的にはあまり思っていない。結果的にできたら嬉しいけれど、あくまで作る段階では、金銭的生活とはあまり直結しない自分の存在意義のようなものを探求するための絵を描きたいと思う。

これらのものを作る技術を高めるためにももちろん絵を描く。クロッキーなどに参加するのはこのため。スポーツ選手のトレーニングのようなもので、楽しい部分ももちろんあるが、好きなことを持続し、高めていくために必要だと思っている。

そして、僕は息抜きにも絵を描く。人に見せなくてもいいし、下手でもいい。気に入ったものが描けると嬉しいし、共有したくもなる、また個展への作品につながることもあるけれど、前もってそれを考えると息抜きにはなりにくいので、もっとふわっと楽に描く。定期的に、カフェや公園に行って、のんびり気ままにスケッチを描く。単純に楽しく絵を描く。しばらくこれができないでいると、なんかいろんなものが雑になっていく気がするし、シコリのようなものが溜まっていく感じがする。マルカフェ美術部での時間も今はこれに近い。

こうして並べてみると実に絵ばっかり描いている。不思議なのは僕は好きだから絵を描いているというよりは、これだけ描いているんだから、自分はよっぽど絵が好きなんだなと、どこか他人事のように思うところだ。自分の好きとか嫌いとかって未だによくわからない。自分の行動を見て、ああそうかと思うことの方が多い。そして、こうやってたくさん絵を描きながら自分の考えや、立ち位置、周りの人や場所や物事を認識し、価値が定まってしまいそうになるとそれを壊すように努め、自分の心を自由に宙に浮かしていたいと願う。