8/05/2019

実家とか梅雨とか夏休みとか

夏が来る少し前に、初めて自分の実家に子供と2人で帰省した。
滞在中はほとんど雨だったけれど、出発の朝はバタバタして予定の新幹線に乗り遅れたりしてしまったけれど、その後は特に大きな問題もなく、父子の親睦を深められたのではないかと思う。

まあそのおかげでというべきか、旅については特に書くこともない。
普段からよく2人で過ごしているからね。子供との仲はわりといい方です。


さて、最近は時間も程よいペースで流れていて過ごしやすい。あとは自分の求める作品が描けたら申し分ないのだけれど。こればっかりは、放っておいたら放っておいただけ放置され続けるだけで、勝手に前に進んではくれない。血を捧げなければ形にはならないし、何も残らない。





6/23/2019

家のこと


6月。ようやく日常が帰ってきたという感じがする。5月はなんだかいろんな事が宙ぶらりんで、いつも何かをやりかけのような気持ちだった。一つの大きな仕事にずっと取りかかっていたので、それが終わるまで常に中途感があったというのもあるし、注文した家具やら何やらの納品を待っていたりで、なかなかしっかりと心から休む事が出来ていなかったように思う。

ひとまず生活を取り巻く環境がぐるっとひととおり落ち着いて、ふぅっと一息つける気持ちになった。滞っていたスケッチにも手が伸びるようになり、やらなきゃいけない事を片付けるだけではなくて、自分からさて何をしようかと一歩踏み出せる気持ちになってきた。時間をまた味方につけられるだろうか。

アメリカから日本に帰ってきて今年で6年目。今回で3回目の引越し。今度こそこれからここに長く住むんだという実感を持って暮らしている。これまでは、常にどこかテンポラリー感があったというか、大きな家具や植物を買うのも控えていたし、そろそろ根を下ろしたいという思いが年々強くなっていた。そしてようやくその願いが叶い、これからしばらくはここでやっていこうと思っている。



さて、気に入った住居を手に入れ、人を家に招きたい衝動に駆られている。愛知やアメリカの友達は言わずもがなだが、東京に住む友人すら遠くて誘いづらい。だれかふらっと立ち寄ってはくれないだろうか。

5/27/2019

2と5

今月つくるくんが2歳に、クレアが5歳になりました。



まだ許可がおりてないから画像はつけられないけど、自分の制作したイラストを載せた大きな広告トラックが、銀座松屋周辺を今走っています。
5月30日まで午後12時頃から5時頃の間だそうです。
銀聯カードの中国語広告で、浮世絵風のイラストだよ。


この絵もなかなか大きかった(横10メートルくらい)けど、これとは別にもうすぐ自分史上いろんな意味で最大の絵が完成する。そのおかげで忙しすぎて残念ながら今銀座には行ってられない。発表をお楽しみに。

4/26/2019

40




もう少しで自分の誕生日を忘れてしまいそうだった。
毎年この時期になると自分の年齢がよくわからなくなる。
40になるのか、40だったのか。


40になったのだ。ものすごく大人だと思っていた年齢に自分がなっても急に何かが変わるわけでもなく、しかし時間は着実に前に進み、感情は日々の生活に吸収されていく。平穏を望んではいるけれど、停滞したくはない。不安も不満も心配もそこそこあるけれど、まずまず充実した生活を送ることができていると思う。望まなければ前に進めないが、しかし望めばきりがないわけで。いつも何かのハザマを行ったり来たり、なんとかうまくステップを踏めているのだろうか。

おめでとう、自分。
生きているだけで立派だと思えるようになった。


3/11/2019

ハル



忙しいと思っていても、ひとつの用事が済んでみると、あれ?そうでもなかったなと思うことがよくある。その逆もまた然り。

わかってはいても、感情と感覚で生きているのだなと痛感する毎日。
たった今自分が感じているものは、この瞬間の自分の真実の断片だと思うけれど、その中に存在する未来も過去もすべて嘘なのだ。その時の感情が未来とか過去の情景を使って自分自身に今の自分の感情を知らせてくれているだけ。しかもその自分のものだと思っている感情には実はまわりの人や社会の思いが入り込んでいたりする。

なんだかわかりにくい話になってしまったけれど、そんなわかりにくい話をうだうだぼーっと考えたくなる季節になってきた。








2/18/2019

障害があるとかないとか




SNSで子供の障害について告白した。このブログでは随分前から話していたことだけれど、FacebookInstagramではまだ言っていなかったので、夫婦で話し合ってちゃんと公表することにした。きっと自分たちが思っているよりも周りの人にとってはそんなに大したことではないんだろうけれど、しかも、公表するといっても100人~200人程度の人しかみていないだろうけれど、それでも、それなりに緊張したし、自分達の中では何かが変わっていく感じがした。

知っていることと知らないこと。知られていることと知られていないこと。周りの人の目。究極的には生きるという行為には直接関係ないように思えること(食べるとか、寝るとかね)なのに、人間にとっては、その精神構造に及ぼす影響は計り知れず、場合によっては生死に関わるほどに、心を惑わす。

障害者と健常者の壁、もしくは日本人と外国人の壁とか、ヘテロセクシャルとホモセクシャルの壁とか、それはなんでもいいんだけど、とにかく、そういう人を便宜的に分類するための枠組みみたいなものがなくなって、そもそもそんな話をする必要自体がなくなればいいのにと思うのだけれど、それは当然のことながらとても難しいことで、そんな大それたことを目指して生きているわけでもない。

それでも、少しずつでも前に進む為には、その定義や実態が認識され当たり前の事実として周知されていく必要があるわけで、それは当事者達の認識も然り。当事者たちの過剰な自意識が作り出している壁はとても高く厚い。それは、その当事者たちが少なからず傷ついてきて、更なる悪意から自分達を守る為にしょうがなく作り上げた壁でもあるわけで、その壁の存在を否定したいわけでも、皆が皆同じように、オープンになるべきだとも思わない。

ただ殆どの人が1人では生きていけない以上個々の持つ情報を、あくまでそれぞれの価値観で、それぞれに必要な範囲で共有することは、精神衛生上とっても大事なことだと思うのだ。風通しの良い人間関係は僕個人ひっそりと理想としていることであるし。


要するに、自分達が心地よく生きていく為に必要だと感じ、その準備が整ったので告知した。というだけのことなんです。


1/08/2019

しし

遅ればせながらあけましておめでとうございます。

今年もふわっと自由な心で行きたいですね。

今年もよろしくお願いします。


12/23/2018

イヌドシ


戌年ももうすぐ終わる。今年もバタバタしていたなぁ。

2018年は、いつ行われるかわからない手術と風邪に怯えた冬に始まり、転院と引越しに追われているうちに春を迎え、真夏の猛暑の中を涼しい病院で大半過ごした入院生活を経て、身体が良くなったのを機に出かけまくった秋。

去年は自分達ではどうにもならない状況が変わってくれるのをじっと耐え忍んでいたような年だったけれど、今年は積極的に動いて願わくば良い方向に変わってくれるように、走り回っていたように思う。少しでも違う景色がみえるように。

少し前の自分の選択の結果を常に受け入れ続けるしかないのだけれど、選択というのはつくづく難しい。
優柔不断で、失敗したくなくて、ベストの結果が常に欲しいという強欲な自分には本当に難しい。
選択肢というのは実は存在しなくて、全ては定まった方向に向けて進んでいて、選択の自由は全てイリュージョンで、、、云々というものの見方もあるけれど、その話はまた次の機会に。


そして、つい最近なんとまた新しい住居が決まり、新年には真新しい生活が始まろうとしている。

10/26/2018

トヨタ



約2年ぶりに実家に帰った。今回初めて車で帰って、やっぱりここは車の街なんだなぁと思い知らされた。そんなに大きくない街のはずなのに、とにかくどこにいっても車が多い。自分も乗っているので全然全く言えた義理ではないけれど、自家用車ってつくづく自分勝手な乗り物だなぁと思う。トヨタやその近辺の街ではほとんど一人一台で乗っている。なんて無駄の多い乗り物だろう。とっても便利だし、いつも助かってるんだけどね。

まぁそれはいいや。

行き帰りの道中は小雨が降ったけれど、トヨタに滞在中はみごとに晴れた。
短時間の旅行であったし、初めての子供を連れての帰省だったので、主に家族にしか会えなかったけれど、充実した時間を過ごせた。

実家に帰って親兄弟と話していると、自分の奥の方に蓄積された、なんというか感情の自動変換機能みたいな、話し相手のある種の言動に対して、自動的に反応する自分の原理的感情の動きみたいなものを強く感じる時がある。はっきりとどんな言動に対してどう反応しているかまではちゃんと掴めないのだけれど、言葉や態度による物理的な反応をやめて自分の内なる動きを観察すると面白い。少しだけ、夢日記を書いているときの感覚に似ている。追えば追うほどつかめない。しかし全体で見ようとすれば、ぼんやりとだけれど何かしらの感触が残る。

9/30/2018

ナガツキ



涼しさのすぐあとに寒さが来て、また暑さが舞い戻ったと思ったら今度は台風がやって来て、なかなか忙しい気候だけれど、季節の変わり目の心が妙にソワソワする感じは嫌いじゃない。肌が変化を嗅ぎとる度に心がふわっと躍る。

子供の病気の事がひと段落して、今月は少し日常が手元に戻ってきた。もしくは、日常を取り戻そうと少し躍起になっていたかもしれない。人に会ったり、イベントに出かけたり。病院に入り浸っていた時の反動もあると思うけれど、まるで、もう自分たちを引き止めるものは何も無いと誰かに証明でもするみたいに(もちろん証明なんてする必要は全く無いのだけれど)、 とにかくよく出かけていた気がする。そしてその予定たちの間を埋めるみたいに仕事をしていた。

フィジカル的には少し疲れたけれど、充実していたし、やはり人に会うと(会う人にもよると思うけど)頭の中が多次元化するというか、考え方のシコリのようなものが少しほぐれる気がする。ただあまり多くの考えが入り込みすぎると、僕の場合、頭の中が騒がしくなり過ぎて、それはそれで困ることになるのだけれど。

改めて考えると、9月は僕らの日常にしては、少しアクティブに過ぎたかもしれない。少しはしゃいでいたのかもしれない。まぁそれもしょうがない。だっていろいろあったもの。