3/11/2019

ハル



忙しいと思っていても、ひとつの用事が済んでみると、あれ?そうでもなかったなと思うことがよくある。その逆もまた然り。

わかってはいても、感情と感覚で生きているのだなと痛感する毎日。
たった今自分が感じているものは、この瞬間の自分の真実の断片だと思うけれど、その中に存在する未来も過去もすべて嘘なのだ。その時の感情が未来とか過去の情景を使って自分自身に今の自分の感情を知らせてくれているだけ。しかもその自分のものだと思っている感情には実はまわりの人や社会の思いが入り込んでいたりする。

なんだかわかりにくい話になってしまったけれど、そんなわかりにくい話をうだうだぼーっと考えたくなる季節になってきた。

あたたかい日が増えてきた。






2/18/2019

障害があるとかないとか




SNSで子供の障害について告白した。このブログでは随分前から話していたことだけれど、FacebookInstagramではまだ言っていなかったので、夫婦で話し合ってちゃんと公表することにした。きっと自分たちが思っているよりも周りの人にとってはそんなに大したことではないんだろうけれど、しかも、公表するといっても100人~200人程度の人しかみていないだろうけれど、それでも、それなりに緊張したし、自分達の中では何かが変わっていく感じがした。

知っていることと知らないこと。知られていることと知られていないこと。周りの人の目。究極的には生きるという行為には直接関係ないように思えること(食べるとか、寝るとかね)なのに、人間にとっては(少なくとも現代の人間にとっては)、その精神構造に及ぼす影響は計り知れず、場合によっては生死に関わるほどに、心を惑わす。

障害者と健常者の壁、もしくは日本人と外国人の壁とか、ヘテロセクシャルとホモセクシャルの壁とか、それはなんでもいいんだけど、とにかく、そういう人を便宜的に分類するための枠組みみたいなものがなくなって、そもそもそんな話をする必要自体がなくなればいいのにと思うのだけれど、それは当然のことながらとても難しいことで、そんな大それたことを目指して生きているわけでもない。

それでも、少しずつでも前に進む為には、その定義や実態が認識され当たり前の事実として周知されていく必要があるわけで、それは当事者達の認識も然り。当事者たちの過剰な自意識が作り出している壁はとても高く厚い。それは、その当事者たちが少なからず傷ついてきて、更なる悪意から自分達を守る為にしょうがなく作り上げた壁でもあるわけで、その壁の存在を否定したいわけでも、皆が皆同じように、オープンになるべきだとも思わない。

ただ殆どの人が1人では生きていけない以上(少なくとも完全な孤独の中で正常な精神状態を保つことはとても難しい)個々の持つ情報を、あくまでそれぞれの価値観で、それぞれに必要な範囲で共有することは、精神衛生上とっても大事なことだと思うのだ。風通しの良い人間関係は僕個人ひっそりと理想としていることであるし。


とダラダラと理屈っぽく長くなってしまったけど、要するに、自分達が心地よく生きていく為に必要だと感じ、その準備が整ったので告知した。というだけのことなんです。
(その為に、自分達が嫌な思いをするのもさせるのも極力避けられるように気をつけたつもりだけれど、もし不快な思いをした人がいたらごめんなさい。)

1/08/2019

しし

遅ればせながらあけましておめでとうございます。

今年もふわっと自由な心で行きたいですね。

今年もよろしくお願いします。