9/18/2016

figure drawing #59


下丸子にある大田区民プラザで行われる月2回のクロッキー会にまた参加してきた。
半日で帰るか、丸一日いるかで結構迷っていたんだけど、家に帰ったら帰ったで、残った時間をいかに有効に使おうかと頭を悩ませてしまいそうだなと思い頑張って午後も参加。やはり1日いるとぐるりと一周まわる感じがして、細かいことを気にしなくなって気楽にいろいろ試せて楽しい。終わった後はどっと疲れてしまうけど。





9/07/2016

美術部第10回:抽象画


無事大量のゾンビを描く大仕事を終えました。詳しくはまた公開されてから発表しますので乞うご期待。


さて、記念すべき美術部第10回は抽象画の会。大学のころ授業でやった実験的なペインティングを共有できたらと主催させてもらいました。
本当なら実演したいところだったけれど、時間も限られているし、ざっくりとアクリル絵具について説明。おそらく情報ばかりでよくわからなかっただろうなと思うけど、こういうのはとにかく体を動かしてみたほうが早い。


自分の描いた完成品が上。なんだか掴みどころがなくて、とても途中っぽい。時間が来て終わったから実際途中なのだけど、まぁ中途半端だな。試しては塗り、削り、また塗りを繰り返すこの作業。行き当たりばったりなのが作業の面白さではあるけれど、全体的にこじんまりとしたことを繰り返した結果こじんまり感を抜け出せなかった。下準備としてサンプルで適当に作った下の絵のほうがまだ面白い。何度となく言っていることだけれど、自分の精神状態は面白いほど絵に出てしまう。きっと主催者として大きな失敗をしないようにうまくこなしたいと思っていたのだろうな。

なにはともあれ、みんなそれぞれに面白い抽象画を描かれていて、変な言い方だけど、いいなぁと思った。




さて、家に帰ってふと気になって大学の頃に描いた抽象画が残っているかなと探してみたらちゃんとアーカイブしてました。すぐ下のタイル状のが今回の美術部と同じように実験的にいろいろ試したもの。約3時間の1回の授業でたしか全部描いたと思う。そしてその下のは、Abstraction (抽象化?)のプロセスを学ぶための授業で左のリアルなものから順にどんどん抽象具合を強くしている。

当たり前の話だけど、抽象と具像、なにも相反するその2つにすべてはっきり分けられるわけではなく、その間は段階的に繋がっている。しかもその間をいったりきたりする自由が作り手にはいつも与えられている。構図を考える時は、シンプルに抽象化された形から始まり、細部を足していくなかでリアルになっていくけれど、さらに寄っていって拡大されたミクロな世界はまたとても抽象的な色や形の組み合わせでしか無くなる。まるでカメラのピントを合わせるように、現実世界で見てるときと同じ距離でみる時だけリアルであるだけで、それ以外の焦点の時には抽象的な別次元の世界が存在するみたいだ。そして、その現実的に見えるかどうかの距離感は、人によって微妙に違うのかもしれない。









8/20/2016

ゾンビとサカナとクモ

今、帰国してからおそらく一番大きな仕事をしている。とても楽しいのだけど、とても忙しい。とにかくたくさんゾンビやらモンスターを描かなくちゃならない。

朝太陽が昇る前から絵を描いて、夕方仕事を終えて公園を散歩していて、とても綺麗な雲を見た。最近入道雲が綺麗だ。特に朝や夕方の角度のついた光によって神秘的に照らされる。

心がぞくぞくするような雲を描きたいなぁと昔からよく思う。しかし、雲だけで魅せられるほど画力に自信がないので、いろいろ楽しそうなものを描いてその後ろに全力で雲を描きたい。

そんなことを考えながら、一日中仕事でゾンビを描いた息抜きに毎度お馴染み空飛ぶサカナをたくさん描いた。

8/01/2016

おタカさん

木綿とおばあちゃんの大切な大切なひと時。
木綿のお姉ちゃんが写真に撮ったものを大事に使わせてもらいました。
多くの人に心に響くと言ってもらい、一層嬉しい一枚となりました。
96年も生き抜くってどういうことなのか僕にはまだまだ全然想像つきません。

7/27/2016

キイロ

なんかバタバタしてるなぁ。余裕がない。
きっと長期に渡って取り組んでいたプロジェクトが佳境を迎えているからな気がする。

だから、というわけでもないけれど、気の抜けた顔の自画像。
なんとなく。

すっきりしたいものです。

7/07/2016

OK OKAY MAG

OK OKAY MAG というオンラインマガジンに掲載されました。(英語です。)

こうしてランダムに世界の誰かに見つけてもらえるのは、本当に嬉しい瞬間です。認められたいという欲を否定してしまっては前に進めない。けれどもその欲に酔ってしまうと底なしの欲に飲まれてしまう。しつこいようだけど、ちょうど中間あたりがいいんだろうね。

7/06/2016

figure drawing #58


いつもとは違う、新たに知人に教えてもらったクロッキー会に参加してきた。朝から夕方まで丸一日というなかなかハードなスケジュール。

最近不眠気味だった躰に鞭を打って行っただけの甲斐があり、とてもとても楽しい時間を過ごすことができました。

あぁそうだよね、人を描くってこうだよねって、マンネリしてきていたもう一つのクロッキー会の不満点を再確認してしまった。薄々感じてはいたけど、やはりモデルさんの生き生きとしたポーズに、描かずにはいられない、描かされる感じが自分は好きなようです。(言うまでもなくこれはあくまで個人的趣向です。面白くないポーズは上手く描けないという自分の画力の無さとも言える。)

また丸一日。長いけれど、長いからこそ腰を据えて、違う画材を使ったりといろいろ試すこともできる。頻度を減らしてその分一回を長くするのもありだし。いっその事乗り換えてしまおうか…






6/20/2016

figure drawing #57


つい先日のクロッキー。あまり悪く言いたくはないけれど、なんだか覇気のないモデルさんだった。こんなに描きたいと思わなかったのも久しぶりだ。それは自分だけではなかったようで、部屋全体からどんよりと退屈そうな空気がにじみ出ていたように思う。手が止まってしまっている人もいたし。機転を利かせて、最後5分ポーズを増やしてくれて、やっと活気が戻って楽しむことができた。5分ポーズはいい、5分ポーズはいいと、繰り返し言っている人が印象的だった。

6/19/2016

チチノヒ

父の日ですね。
愛する野菜を見つめる少し疲れた顔。
日本に帰ってきた大事な理由の一つに家族との距離感がある。

自分と妻の家族を知ることは自分と相手とその関係を知るのにとても大きな手助けになる。その距離感はそれぞれの時代や環境に合った距離があると思うし、家族と呼ばれる存在のあり方もそれぞれあると思う。飛行機で12時間ぐらいかけて数年に1度くらい会えるのが丁度いい人もいれば、毎日会って確かめたいことがあるかもしれない。

16歳で寮生活を始め、19歳でアメリカに渡ってしまった僕は、自分のことで精一杯で30歳も半ばを過ぎてやっと自分の家族に正面から目を向けられるようになった。毎日10時間10日間も瞑想をしに行った時も、家族のことに一瞬でも想いが至ったのは全てが終わって何気なく歩いている時にふと、あ、そういえば、と思うだけだった。
自分の存在をまるっと受けれてしまった時、それまで大嫌いだった父も一緒に全部飲み込んでしまったような不思議な感覚があって、憎悪は跡形もなく消えて、これまで積み上げてきた自分の歪んだ傾向と習慣と、向き合うべき現実だけ残ってた。

帰国して2年半。父親は変わらず元気そうに畑仕事に精を出している。自分も相変わらず自分のことに大忙しで、日々の大半は家族のことなど忘れて、同じ日本に住んでいても、自分の家族に会うのは年に2回もあればいいほうだ。
それでも、この2年半で、ずいぶん多くのことを自分や妻の家族に教えてもらえたように思う。

6/06/2016

パノラマ

ひと月ほど前に新しく入手したペンを試しに近所の多摩川台公園へ行った時の絵。ペンの走りがとても心地よく、気持ち良くスケッチを終えることができたのだけど、後で見たら自分の筆圧でペン先が結構潰れ、このあとすぐに使えなくなってしまった。筆圧が強すぎるのも問題だけど今更簡単には治らないし、残念ながらこのペンは次は買えない。残念。

描き心地って描く気分に影響するし、その気分は線の雰囲気を変えてしまうと思うから、なかなか大事な要素です。世の中理屈で構築されてるものがこんなにも増えたのに、なんだかんだ言って、概ね人の気分や感情で動いてるからややこしい。