5/24/2016

美術部第8回:御嶽山神社

今回のマルカフェ美術部はマルカフェ真裏の御嶽山神社にて。
真夏日の木陰で、気の抜けた鳩の声と、今にもその辺から飛び出してきそうな近所の保育園児の遊び声を聞きながら、今日も日本は平和だなぁとしみじみ噛み締めるようにスケッチを楽しんだ。いつもよく一人でやっていることを、いつも通りのリラックスした心で(靴まで脱いで)、でもふと横を見ると、気づけばもう8回目になる美術部部員がそれぞれの場所を見つけて各々に描いている。自分の描いた絵を見てもらうのも楽しみで、またそれぞれの捉える世界を見せてもらえるのも楽しみだなぁと思いながら、黙々と描いていた。講評時、タバコの灰まで画材にしてしまうマスターの自由な創作性が特に印象的でした。


実は前夜知り合いの結婚式の二次会で、渋谷という不慣れな街で珍しく遅くまで飲んでいて、二日酔いというほどでもなかったけれど、ふわっと気の抜けた状態で、暑い陽気も手伝ってなんだか夢見心地な時間でした。

5/21/2016

figure drawing #56




5月も気づけばもう後半。毎月恒例のクロッキーに行ってきました。

1枚目を描き始めた時は、「あ、今日は自然に集中してみえるかも」と思ったんだけど、次の瞬間、その大事な集中力はぽろぽろと手からこぼれ落ちてしまい、そのあとは全くと言っていいほど集中できなかった。というか、描くこと自体がとてもだるかった。描く気が起こらない時のクロッキーはとてもつらい。とにかく面倒くさいという倦怠感に頭からすっぽり覆われていた。

きっと今週、特に前日までの二日間、ひさびさにぎゅっと時間の濃縮された仕事をしたので、リソースが切れていたんだろうなと思う。しかし、人生37年でも生きているといろいろ学ぶもので、こんなことも過去に何度もあるし、こんな時はとにかくじっと嵐が過ぎ去るのを待つ。ということを覚えた。すると、このダウンの時間が次を楽しくしてくれるし、この時の踏ん張りがあとあとで力になる。なんにせよ、人間の頭はある程度なんにでも慣れるし、飽きる。そして、大概は時間が解決してくれる。長引くとつらいけど。


今回のモデルさん、にかかわらず、いつもある程度そう感じるんだけど、いろいろ注文を付けられる前半の長めのポーズよりも最後の自由にできる5分ポーズの方が個性も出てくるし生き生きしてて描いていても楽しい。なんかはじめにいろいろ言われているうちにオーラのようなものがシャットアウトされていく感じがするんだよなぁ。描ける人にはちゃんといい絵が描けているし、主催者の大事にしていることもあるだろうし、僕なんかが何か言える立場では全然ないんだけどね。



5/08/2016

ハハノヒ

Happy Mother's Day!!

世界中の母親の皆様、もしくは母親的な皆様。
いつもいつもありがとうございます。

感謝の気持ちを込めて花を描きたいなぁと思って出かけてみたら、ちょうど良い花がちょうど良いところにありましたよ。



4/28/2016

美術部第7回:踊る人

美術部第7回は踊る人。
踊れる人というのは本当に憧れます。思うがままに空間を移動しながら4つの次元を見事に凌駕していると思う。

さて、今回動いている人を描くということで、ざっくり描ける6Bのグラファイトのスティックを用意していきました。大学に行き始めて確か一番最初の学期にとっていた授業だったと思うのだけど、そこで先生が教えてくれたのがGestureという描き方。当時は確か木炭を使って30秒ぐらいの短時間でとにかく対象物のエネルギーの流れをつかめというふうに教わった。先生曰く「これから骨格とか筋肉とかいろんな知識を身につけていくと思うけれど、どんなに正確に描くことを覚えても、このGestureをちゃんと捉えられなければ正しい絵を描くことができたとしても、活きた絵を描くことはできない。」とのこと。絵を描くときは今でも一番初めにこれを意識するようにしている。うまく捉えられないことが多いけれど、これがうまくできると確かにそのあとがスムーズに進む気がする。その先生もそうだけれど、アメリカの田舎の短大に通っていた初めの2年に精神面とか楽しさとか、大切な基盤をじっくりと学ぶことができて本当によかった。LAの大学に編入後にならった技術的商業的側面ももちろん大事だけれど。

一つおまけ的にマーカーを使って描いてみたけど、上の絵はなんとかバランスが取れてるかなと思った5点で、実際はこの3倍ぐらい描いては紙を無駄にしていた。難しかったけど、どんどん踊る人に惹きつけられて自分の心も躍り出すようで、至福の時間でした。



講評の時にアナログとデジタルの哲学的な話になって、こういう話は大好きなので、少し熱くなってしまいました。

アーカイブとい観点からみた責任みたいなものは確かにとても大事だと思う。実際、デジタルで描いたものはアナログで描くとき以上に完成品に気を使う。アナログのものは、ある程度雑に扱っても1点ものという価値をいつも持っていてくれるのに対し、デジタルから出力されたプリントは、いつでも複製できるせいで傷がついた時点で価値が大きく損なわれてしまうので、額装が完了するまで死ぬほど気を使う。皮肉なことだけれどアナログなら楽なのにと思ったことも数知れず。

また、その時はタイミングを逃して言えなかったのだけど、 大事なのはこういう議論や迷いそのものかもしれないと思う。アナログで描いている人が、アナログのほうが価値があると決めてしまったら、やはりそこには傲慢さが生まれ、何か大事なものが損なわれてしまうと思うし、また自分は今デジタルで描いているけれど、デジタルで本当にいいのか、実はデジダルじゃダメなんじゃないかと、自問し続ける謙虚さはやはり必要だと思う。そういう迷いや不安が、ある種の優しさみたいなものを絵に滲ませてくれるかもしれないし、また迷った末にこれでいいんだと進める一歩が絵に力強さを与えてくれるかもしれない。

前にTVで100歳を超える画家が言っていた。100年生きてもわかったことなどありゃしない。でもその迷いが文化を作るんじゃないかと。なんて心強い。


ダラダラと長くなってしまったけど、結局のところ、こうやってあーだこーだと好きな事を、好きな人達と、時に真面目に、時に面白おかしく話せるということが本当に楽しい。



おまけ:下は10〜15分ポーズしてくれたので、スケッチ感覚でペンを使って描こうとしたのだけど、残念ながら途中でペンのインクが切れてしまいました。




4/18/2016

figure drawing #55




引越し後すぐにあったクロッキー会。やはり心の乱れか、線を思うように扱えなかった。でも良い息抜きにはなった。一つ試しにマーカーで色を入れてみようとしたけれど、思ってたより色が強くバリューも暗すぎて全然思ったようにできなかった。

やっとひととおり物が片付いて、ブログをアップする余裕ができた。あとは幾つかものを買い揃えたら、ルーティンを整えて、仕事や遊びに集中したい。ちょくちょく散歩に出てみたけれど、心地よい自然もあるし、街の雰囲気も便利で面白そうだし、楽しく過ごせそうだと思う。

4/07/2016

サクラチル

近所の桜も見頃。少し葉が出てきてしまっているけど、散ってるところが一番好きかもしれない。動きがある方が好きなのは、飽きっぽいからなのか、それとも猫的な動物的本能か。


3/31/2016

美術部第6回:店長

美術部第6回目の題材は犬。マルカフェの店長です。
覚悟はしていたけれど、とにかく動く、動く。
たまに人や動物で動くものを描く練習をしたりするけれど、いつもながら苦手だ。
しかし、いつもながら描いていると慣れてくる。時間の流れに目と体が慣れる。

動くものに限らないことだけれど、ものを見て描く時、見たままにすべてを描けるわけではないので、そのもののエッセンスのようなものを理解して、なるべくシンプルな形でそれを抽出することが、ものを見て描く際のコツのようなものだと思っている。とはいっても、目でものを見ると、そこには無数の情報が溢れているので、核心をつかむのが難しい。写真から写す場合はトレースという作業を行えるので、ある程度そのままそこにある情報を単純に移すだけでもそれなりの形になるけれど、実際に見て描く重要性はこのエッセンスの抽出と単純化にあるように思う。

で、とにかく描いていて、後半戦余裕が出てきたので、構図を整えて描いてみようと描き始めて、最初は吹き出しをつけて何か喋らせようと思った。普段からよくスケッチでやる方法なのだけれど、それで、店長を見ながら、うーん、と頭を捻らせてみたのだけど、何も言葉を思いつかなかった。店長は何もしゃべっていなかった。それで、今度は彼の心を絵で捉えてみようと思って描いたのが上の絵。なんかわからんけど、こんな感じに見えた。

下は幾つか描いたランダム描写のうちの一つ。適当なアングルをいろんな色で重ねたりしたら面白いかなぁと思ったけど、全然思ったように描けず、一つだけやっと少しちゃんと描けた。

3/19/2016

figure drawing #54






昨日のクロッキー。とてもリラックスして描けたように思う。モデルさんとの相性みたいなものはやっぱりある。うまく集中できていくと、なんか一瞬時間が止まったようになって、心と体の感覚がぴったり合う時がある。目で見て、それをそのまま紙になぞるように体が素直に動く。でも、それを意識してしまうと、スルスルと手から抜け落ちて、少しずれてしまう。焦ってもダメだし、開き直ったらいいというわけでもない。あの感覚をもう一度という感じで追っていってもやはりダメだ。その瞬間にできるだけ自分を投げ出して、求めずに求める。信念を持って受け入れ続ける。夢の中で自分を操作する感じに少し似ているかもしれない。欲しいという気持ちから生まれているので、欲はいるのだけれど、それを手放しで放っておく感じ。スポーツの試合なんかで、勝つという信念は持ちつつも、勝ちたいという欲を捨てなければいけないというのにも似ている。
突き詰めると、瞑想も、クライミングも、音楽や踊りや食事やゲームや小説や笑い、大げさに言ってしまえば人生そのものが、その瞬間につながっていて、僕はその瞬間こそをとても強く求めているのだということを、何度も何度も繰り返し言われているような気がする。




3/11/2016

アマタノアタマ

個展が終わったぐらいから、アタマの中にぐるぐるあって形にしたいものがあるのだけれど、そしてできるなら言葉としても綴りたいと思っているのだけど、なかなかどうして形にならない。いろいろ絡まったまま溢れさせるだけでは、その中心にある大事な核を共有できない。そんな気がする。せっかくなら、多くの人に伝わる形で残したいと思うのだけど。

仕事や趣味やスケッチ、日常のリズムは、とてもよくいっていると思う。
とても小気味良いリズムで、少し自制し過ぎている感は否めないけれど、自然の流れにもある程度あっていると思うし、もう少しこの調子で、辛抱強く手繰っていけば、ガチャガチャのようにゴロっと心と体のあいだ辺りから何か出てくる予感がある。そうあってほしい。

2/28/2016

二度あげる花

一度あげた花を今度は絵に描いてあげる。絵に描いて、やっと、あぁこの花をよく見て楽しんだなぁ、と思ったりもする。Back To Natureという多摩川の花屋さん。落ち着いた素敵なセンスで、なんだかいつもと違う緑多めの花束を(緑のペンを持っていないので絵には反映されてないけど)、ゆっくり楽しませていただきました。