頭の中がうるさい時がある。
中学校ぐらいからずっとあることなので、今更改めて言うことでもないような気もするけれど、こうして文章で書くと落ち着くことが多いので、あえてそれをブログに載せることにした。あとで消してしまうかもしれないけれど。
人と会ったり話したりすることは、基本的には好きになった。もちろん相手は選ぶが、昔に比べたら人への興味はずいぶん強くなったと思う。20代のころは自分のことで精一杯で人の話なんて全然聞いていなかった。
人と話すと頭の中の声は多くなる。きっとうまくいえなかったことや、相手の言い分や自分の言い分の折り合いの付けどころのようなものを頭の中で反芻してしまうのだろう。言いたいことをその場で率直に言う事が苦手なのでこういうことになる。こんなのはそんなに珍しいことではないんだろうなと勝手に思っている。
例えば、お金でなんでも解決してしまおうという価値観の人がいる。全然いいと思う。しかし、それだけでは、何か種のようなものが残ってしまったり、繰り返すことで感覚が麻痺してよくわからなくなってしまったり、想像力が育たなかったりするんじゃないかという自分の価値観がある。
いろんな価値観があって然るべきだと常々思っている。しかし、話し手の価値観を上手く飲み込めていないんだろうなと思う自分の心の声がある。自分の美学や哲学の根本を揺るがすようなことであったりするから、自分の価値観を維持できなくなるような気がして不安になってしまうんだろうか。そして、その自分の美学は本当に自分のものか、相手はどうだ、とかなんとか思っているうちに、そもそもそんなこと、一人の人間である自分に判断できるはずがないのだと、少しあきらめたり、あきらめてしまっては前に進めない、こういう思考の集合体がヒトという種を前に押し進めるのだと思ったり、いやいやそもそも進むということ自体がナンセンスで、自然の中でいろんなことに巻き込まれながらただ在るだけで、あとは全部エゴの戯言にすぎないのだなんて、頭の中で言い合っているうちに、最初の話はぼやけていき、こういうのも全部今までにどっかで聞いたことのある話の集合体でしかないのだと、また自分の主体性に不安を抱き、結局のところ自分を中心に見てほしいのにその願望がうまく出せないだけなんじゃないかと、自分のエゴの強さを訝る。夢の中でも自分をよく見せたい、ベストの自分を人に見せたい、わかってほしいと葛藤している自分がいる。
とこんな具合に頭の中の声がうるさい。
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