先日、オンライン美術部の題材としてマルカフェ店内の写真を送って頂いて、360度レンズに収まるような形で絵を描いた。前からこうやって個人的な空間をこまごま描く作業が好きで、自分の家や、人の家、アーティストのアトリエとか、たまに描いてきた。
題材も手法も特に珍しいものではない。
だから描き方についての説明は割愛するとして、どうしてこの作業が好きなのか考えてみることにした。
絵を描くという職業がら、どうやってものが見えているのかと不思議に思われることがある。自分も自分より上手い人たち(星の数ほどいる)のことを同じように思う。
人のことはよくわからないが、自分に関していうと、ものを見ている時は、絵を描く描かないに関わらず、“把握”しようとしている。どのようにその空間に存在しているのか。もっといえばその空間において、ものがある領域とものがない領域の関係性みたいなものを延々とみている。距離とか角度とか形とか質感とか理由とか因縁とか歴史とか役割とか根拠とか思想とか哲学とか、そういうものを総合的に把握しようとし続けている。
ものが一つそこにある(もしくはない)ということは、そういういろんな要素を経てそこに存在(不在)するのだ、ということまで常に考えているわけではないけれど、その断片のようなものを感じ続けているとは思う。
そして、絵を描くという行為は自分にとって一番しっくりくる、その把握のための作業なのだ。文筆家が文章に書くことでものごとを認識するように、絵を描くことでその空間を自分の中に取り込んでいく。そのあとも変化し続けてしまうので、それで終わりではないのだけれど、ひとまずその瞬間において自分の中にすとんとおさまる。
だから部屋をぐるっとひとまわり描くと、とても安心できる。まさにふぅっとひと息ついてほっとできるのだ。写真ではなく直接その場でみて描く方が好ましいけれど、とにかくそこのあるものをみて、それについて思いを馳せ、そして絵に落とし込む。必ずしもリアルに忠実でなければいけないわけではなく、その関係性が自分にとってしっくりきたら、それでいい。そして、それができるとよく寝れる。
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