大掃除とか家の片付けとか溜まっていたタスクとか、いろいろ終わらせることのできたプロダクティブな師走だったけれど、今年完成を目標にしていた肝心のプロジェクトは終わらなかった。
本当の意味での制作は間があくとどうしても億劫になる。これのどこがそんなによかったんだろうと、少し前の自分に疑問が湧き、自信をなくし、土台から立ち上げ直さなくちゃいけなくなる。そして身の回りのこととか、実質的な仕事とか、手につくことから片付けようとしてしまう。1日中向き合っても全く進まないこともある制作に時間を費やすよりも確実に終わることからやっていた方が、そりゃ気が楽だもの。
いつまでも逃げていちゃ何も前に進まない。でも、それでもいいと思えるようにもなった。
12/29/2019
11/30/2019
秋も終わり
半年ぐらい前に、今まで描いた中で一番サイズが大きくて(縦3横15メートル)、会社の名前的にもかなり大きな仕事があった。要はその会社のオフィス内の壁画を描いたのだけれど、その会社に行けばみられるが残念ながらその絵も会社の名前も公開することはできない。10月にその会社に行ってそこの社員の前でちょっとしたスピーチをするという機会をもらった。
久しぶりにアーティストとして自己紹介をして、自分の作品について話をさせてもらったのだけれど、2015年の個展以来そういうことをしっかり考えたり、まとめたりしていなかったなということに気がついた。(急だったし、久々に英語だったということもあってそのスピーチは個人的にぼろぼろだった。)5年近く時が経てば、考えていることもアートに対する姿勢も変わるものだなと思い、近々ちゃんとアップデートしたいと思う。
久しぶりにアーティストとして自己紹介をして、自分の作品について話をさせてもらったのだけれど、2015年の個展以来そういうことをしっかり考えたり、まとめたりしていなかったなということに気がついた。(急だったし、久々に英語だったということもあってそのスピーチは個人的にぼろぼろだった。)5年近く時が経てば、考えていることもアートに対する姿勢も変わるものだなと思い、近々ちゃんとアップデートしたいと思う。
10/31/2019
インクトーバー
Ink とOctoberをくっつけた造語で何年か前から10月になるとよくみるハッシュタグ。要はモノクロインク(デジタルも◯)の強化月間みたいなものだ。できるだけコンスタントに同じ間隔で描くことで良い習慣を身につけようというわけで、友達もわりと多く参加しており、今まではなんとなくみているだけだったけれど、いいなぁと思う絵をみかけてインスピレーションを感じたので、えぃっと参加してみた。
やっぱりというかなんというか、習慣からくる面白さみたいなものがある。自分は1日置きに奇数日だけ描いていたんだけど、続けるうちに身軽さが生まれ、考え込まずにひょいっと出てきたアイデアを、身体に馴染んだラインで軽快に描く楽しさがあった。
気になる人はinstagramへGo!
9/28/2019
#9
まだまだ残暑はあるが、だいぶ秋の装いになってきて過ごしやすい。
相変わらず頭の中にはいろんな思考が渦巻いていて、その一つでもここで取り上げてみたいと思ったりするのだけれど、何を書いても、唐突で、回りくどくて、マトを得ない気がしてしまう。
なぜだろう。気候の話をしているぐらいがちょうど心地よい。
絵描きなのだから、絵にその思いを込めることができたらそれでいい、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、できることなら言葉にしたいという欲が自分の中にあるのがわかる。いつか機会があれば、きっとその話をするのにふさわしい絵が描けた時に、文章として記したい。
そうそう、少し前にここにもちらっと書いたけれど、自分史上最も大きな絵(横15メートル縦3メートル)は完成し実物も見てきたけれど、どうやらネット上に公表することはNGらしいので、残念だけどおおっぴらには自慢できない。悶々とする気持ちもあるが、仕事なのでしょうがない。これに負けない絵を描き続けていくしかない。
あ、あと、このJ:COMのCM動画に出てくる絵を描いたよ。0:12くらいのアメコミ風の絵。
8/28/2019
続・夏休み
今年の夏休みは自分のプロジェクトもしっかり進み、年内に発表できるかもしれないというところまできた。早く見せたくてそわそわしている。より良いものを作りたいという欲が奥の方からじわりと湧き出てくる。そして來る公表の時のために、人との繋がりも大切にしていきたい。
座り姿勢が板についてきた息子。赤ちゃん体操の先生には諸々の理由で止められていたけれど、本人の座りたい意欲を邪魔するのはどうも気がひける。まぁなるようになるさ。
海では波に大はしゃぎで砂浜をズリバイしまくっていた。今年の夏は夏らしいことをしている。どこまでも進んでいけるのはさぞ気持ち良いことだろう。
息子よ、世界は広いぞ。
座り姿勢が板についてきた息子。赤ちゃん体操の先生には諸々の理由で止められていたけれど、本人の座りたい意欲を邪魔するのはどうも気がひける。まぁなるようになるさ。
海では波に大はしゃぎで砂浜をズリバイしまくっていた。今年の夏は夏らしいことをしている。どこまでも進んでいけるのはさぞ気持ち良いことだろう。
息子よ、世界は広いぞ。
7/28/2019
実家とか梅雨とか夏休みとか
夏が来る少し前に、初めて自分の実家に子供と2人で帰省した。
滞在中はほとんど雨だったけれど、出発の朝はバタバタして予定の新幹線に乗り遅れたりしてしまったけれど、その後は特に大きな問題もなく、父子の親睦を深められたのではないかと思う。
まあそのおかげでというべきか、旅については特に書くこともない。
普段からよく2人で過ごしているからね。子供との仲はわりといい方です。
さて、最近は時間も程よいペースで流れていて過ごしやすい。あとは自分の求める作品が描けたら申し分ないのだけれど。こればっかりは、放っておいたら放っておいただけ放置され続けるだけで、勝手に前に進んではくれない。血を捧げなければ形にはならないし、何も残らない。
6/23/2019
家のこと
6月。ようやく日常が帰ってきたという感じがする。5月はなんだかいろんな事が宙ぶらりんで、いつも何かをやりかけのような気持ちだった。一つの大きな仕事にずっと取りかかっていたので、それが終わるまで常に中途感があったというのもあるし、注文した家具やら何やらの納品を待っていたりで、なかなかしっかりと心から休む事が出来ていなかったように思う。
ひとまず生活を取り巻く環境がぐるっとひととおり落ち着いて、ふぅっと一息つける気持ちになった。滞っていたスケッチにも手が伸びるようになり、やらなきゃいけない事を片付けるだけではなくて、自分からさて何をしようかと一歩踏み出せる気持ちになってきた。時間をまた味方につけられるだろうか。
アメリカから日本に帰ってきて今年で6年目。今回で3回目の引越し。今度こそこれからここに長く住むんだという実感を持って暮らしている。これまでは、常にどこかテンポラリー感があったというか、大きな家具や植物を買うのも控えていたし、そろそろ根を下ろしたいという思いが年々強くなっていた。そしてようやくその願いが叶い、これからしばらくはここでやっていこうと思っている。
さて、気に入った住居を手に入れ、人を家に招きたい衝動に駆られている。愛知やアメリカの友達は言わずもがなだが、東京に住む友人すら遠くて誘いづらい。だれかふらっと立ち寄ってはくれないだろうか。
5/27/2019
2と5
今月つくるくんが2歳に、クレアが5歳になりました。
まだ許可がおりてないから画像はつけられないけど、自分の制作したイラストを載せた大きな広告トラックが、銀座松屋周辺を今走っています。
5月30日まで午後12時頃から5時頃の間だそうです。
銀聯カードの中国語広告で、浮世絵風のイラストだよ。
この絵もなかなか大きかった(横10メートルくらい)けど、これとは別にもうすぐ自分史上いろんな意味で最大の絵が完成する。そのおかげで忙しすぎて残念ながら今銀座には行ってられない。発表をお楽しみに。
まだ許可がおりてないから画像はつけられないけど、自分の制作したイラストを載せた大きな広告トラックが、銀座松屋周辺を今走っています。
5月30日まで午後12時頃から5時頃の間だそうです。
銀聯カードの中国語広告で、浮世絵風のイラストだよ。
この絵もなかなか大きかった(横10メートルくらい)けど、これとは別にもうすぐ自分史上いろんな意味で最大の絵が完成する。そのおかげで忙しすぎて残念ながら今銀座には行ってられない。発表をお楽しみに。
4/26/2019
40
もう少しで自分の誕生日を忘れてしまいそうだった。
毎年この時期になると自分の年齢がよくわからなくなる。
40になるのか、40だったのか。
40になったのだ。ものすごく大人だと思っていた年齢に自分がなっても急に何かが変わるわけでもなく、しかし時間は着実に前に進み、感情は日々の生活に吸収されていく。平穏を望んではいるけれど、停滞したくはない。不安も不満も心配もそこそこあるけれど、まずまず充実した生活を送ることができていると思う。望まなければ前に進めないが、しかし望めばきりがないわけで。いつも何かのハザマを行ったり来たり、なんとかうまくステップを踏めているのだろうか。
おめでとう、自分。
生きているだけで立派だと思えるようになった。
3/11/2019
ハル
忙しいと思っていても、ひとつの用事が済んでみると、あれ?そうでもなかったなと思うことがよくある。その逆もまた然り。
わかってはいても、感情と感覚で生きているのだなと痛感する毎日。
たった今自分が感じているものは、この瞬間の自分の真実の断片だと思うけれど、その中に存在する未来も過去もすべて嘘なのだ。その時の感情が未来とか過去の情景を使って自分自身に今の自分の感情を知らせてくれているだけ。しかもその自分のものだと思っている感情には実はまわりの人や社会の思いが入り込んでいたりする。
なんだかわかりにくい話になってしまったけれど、そんなわかりにくい話をうだうだぼーっと考えたくなる季節になってきた。
2/18/2019
障害があるとかないとか
SNSで子供の障害について告白した。このブログでは随分前から話していたことだけれど、FacebookやInstagramではまだ言っていなかったので、夫婦で話し合ってちゃんと公表することにした。きっと自分たちが思っているよりも周りの人にとってはそんなに大したことではないんだろうけれど、しかも、公表するといっても100人~200人程度の人しかみていないだろうけれど、それでも、それなりに緊張したし、自分達の中では何かが変わっていく感じがした。
知っていることと知らないこと。知られていることと知られていないこと。周りの人の目。究極的には生きるという行為には直接関係ないように思えること(食べるとか、寝るとかね)なのに、人間にとっては、その精神構造に及ぼす影響は計り知れず、場合によっては生死に関わるほどに、心を惑わす。
障害者と健常者の壁、もしくは日本人と外国人の壁とか、ヘテロセクシャルとホモセクシャルの壁とか、それはなんでもいいんだけど、とにかく、そういう人を便宜的に分類するための枠組みみたいなものがなくなって、そもそもそんな話をする必要自体がなくなればいいのにと思うのだけれど、それは当然のことながらとても難しいことで、そんな大それたことを目指して生きているわけでもない。
それでも、少しずつでも前に進む為には、その定義や実態が認識され当たり前の事実として周知されていく必要があるわけで、それは当事者達の認識も然り。当事者たちの過剰な自意識が作り出している壁はとても高く厚い。それは、その当事者たちが少なからず傷ついてきて、更なる悪意から自分達を守る為にしょうがなく作り上げた壁でもあるわけで、その壁の存在を否定したいわけでも、皆が皆同じように、オープンになるべきだとも思わない。
ただ殆どの人が1人では生きていけない以上、個々の持つ情報を、あくまでそれぞれの価値観で、それぞれに必要な範囲で共有することは、精神衛生上とっても大事なことだと思うのだ。風通しの良い人間関係は僕個人ひっそりと理想としていることであるし。
要するに、自分達が心地よく生きていく為に必要だと感じ、その準備が整ったので告知した。というだけのことなんです。
1/08/2019
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