美術部第7回は踊る人。
踊れる人というのは本当に憧れます。思うがままに空間を移動しながら4つの次元を見事に凌駕していると思う。
さて、今回動いている人を描くということで、ざっくり描ける6Bのグラファイトのスティックを用意していきました。大学に行き始めて確か一番最初の学期にとっていた授業だったと思うのだけど、そこで先生が教えてくれたのがGestureという描き方。当時は確か木炭を使って30秒ぐらいの短時間でとにかく対象物のエネルギーの流れをつかめというふうに教わった。先生曰く「これから骨格とか筋肉とかいろんな知識を身につけていくと思うけれど、どんなに正確に描くことを覚えても、このGestureをちゃんと捉えられなければ正しい絵を描くことができたとしても、活きた絵を描くことはできない。」とのこと。絵を描くときは今でも一番初めにこれを意識するようにしている。うまく捉えられないことが多いけれど、これがうまくできると確かにそのあとがスムーズに進む気がする。その先生もそうだけれど、アメリカの田舎の短大に通っていた初めの2年に精神面とか楽しさとか、大切な基盤をじっくりと学ぶことができて本当によかった。LAの大学に編入後にならった技術的商業的側面ももちろん大事だけれど。
一つおまけ的にマーカーを使って描いてみたけど、上の絵はなんとかバランスが取れてるかなと思った5点で、実際はこの3倍ぐらい描いては紙を無駄にしていた。難しかったけど、どんどん踊る人に惹きつけられて自分の心も躍り出すようで、至福の時間でした。
アーカイブとい観点からみた責任みたいなものは確かにとても大事だと思う。実際、デジタルで描いたものはアナログで描くとき以上に完成品に気を使う。アナログのものは、ある程度雑に扱っても1点ものという価値をいつも持っていてくれるのに対し、デジタルから出力されたプリントは、いつでも複製できるせいで傷がついた時点で価値が大きく損なわれてしまうので、額装が完了するまで死ぬほど気を使う。皮肉なことだけれどアナログなら楽なのにと思ったことも数知れず。
また、その時はタイミングを逃して言えなかったのだけど、 大事なのはこういう議論や迷いそのものかもしれないと思う。アナログで描いている人が、アナログのほうが価値があると決めてしまったら、やはりそこには傲慢さが生まれ、何か大事なものが損なわれてしまうと思うし、また自分は今デジタルで描いているけれど、デジタルで本当にいいのか、実はデジダルじゃダメなんじゃないかと、自問し続ける謙虚さはやはり必要だと思う。そういう迷いや不安が、ある種の優しさみたいなものを絵に滲ませてくれるかもしれないし、また迷った末にこれでいいんだと進める一歩が絵に力強さを与えてくれるかもしれない。