美術部第6回目の題材は犬。マルカフェの店長です。
覚悟はしていたけれど、とにかく動く、動く。
たまに人や動物で動くものを描く練習をしたりするけれど、いつもながら苦手だ。
しかし、いつもながら描いていると慣れてくる。時間の流れに目と体が慣れる。
動くものに限らないことだけれど、ものを見て描く時、見たままにすべてを描けるわけではないので、そのもののエッセンスのようなものを理解して、なるべくシンプルな形でそれを抽出することが、ものを見て描く際のコツのようなものだと思っている。とはいっても、目でものを見ると、そこには無数の情報が溢れているので、核心をつかむのが難しい。写真から写す場合はトレースという作業を行えるので、ある程度そのままそこにある情報を単純に移すだけでもそれなりの形になるけれど、実際に見て描く重要性はこのエッセンスの抽出と単純化にあるように思う。
で、とにかく描いていて、後半戦余裕が出てきたので、構図を整えて描いてみようと描き始めて、最初は吹き出しをつけて何か喋らせようと思った。普段からよくスケッチでやる方法なのだけれど、それで、店長を見ながら、うーん、と頭を捻らせてみたのだけど、何も言葉を思いつかなかった。店長は何もしゃべっていなかった。それで、今度は彼の心を絵で捉えてみようと思って描いたのが上の絵。なんかわからんけど、こんな感じに見えた。
下は幾つか描いたランダム描写のうちの一つ。適当なアングルをいろんな色で重ねたりしたら面白いかなぁと思ったけど、全然思ったように描けず、一つだけやっと少しちゃんと描けた。
3/19/2016
figure drawing #54
昨日のクロッキー。とてもリラックスして描けたように思う。モデルさんとの相性みたいなものはやっぱりある。うまく集中できていくと、なんか一瞬時間が止まったようになって、心と体の感覚がぴったり合う時がある。目で見て、それをそのまま紙になぞるように体が素直に動く。でも、それを意識してしまうと、スルスルと手から抜け落ちて、少しずれてしまう。焦ってもダメだし、開き直ったらいいというわけでもない。あの感覚をもう一度という感じで追っていってもやはりダメだ。その瞬間にできるだけ自分を投げ出して、求めずに求める。信念を持って受け入れ続ける。夢の中で自分を操作する感じに少し似ているかもしれない。欲しいという気持ちから生まれているので、欲はいるのだけれど、それを手放しで放っておく感じ。スポーツの試合なんかで、勝つという信念は持ちつつも、勝ちたいという欲を捨てなければいけないというのにも似ている。
突き詰めると、瞑想も、クライミングも、音楽や踊りや食事やゲームや小説や笑い、大げさに言ってしまえば人生そのものが、その瞬間につながっていて、僕はその瞬間こそをとても強く求めているのだということを、何度も何度も繰り返し言われているような気がする。
3/11/2016
アマタノアタマ
個展が終わったぐらいから、アタマの中にぐるぐるあって形にしたいものがあるのだけれど、そしてできるなら言葉としても綴りたいと思っているのだけど、なかなかどうして形にならない。いろいろ絡まったまま溢れさせるだけでは、その中心にある大事な核を共有できない。そんな気がする。せっかくなら、多くの人に伝わる形で残したいと思うのだけど。
仕事や趣味やスケッチ、日常のリズムは、とてもよくいっていると思う。
とても小気味良いリズムで、少し自制し過ぎている感は否めないけれど、自然の流れにもある程度あっていると思うし、もう少しこの調子で、辛抱強く手繰っていけば、ガチャガチャのようにゴロっと心と体のあいだ辺りから何か出てくる予感がある。そうあってほしい。
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