2/24/2015

さえない

先週末、日本でははじめてクライミングのコンペに出ました。結果はボロボロ。
もともと痛かった肘をこの一ヶ月のトレーニング中に悪化させてしまったのが、一番の敗因かと思う。人と競い合うのは性格的にはあまり好まないのだけれど、これをきっかけに強くなれればと思い登録してみて、実際準備期間中はかなり楽しく登ることが出来たし、いい経験になったのは間違いない。コンペ自体を楽しめたかというと、そんな余裕は正直言ってなかった。肘の怪我もあって、負けてもしょうがないと思っていたけれど、どんなにうまく飲み込もうと思っても、飲み込み切れないくやしさが自分の中にかなり大きく残っているらしい。頭でどう考えようと、とにかく体に力が入らず、やる気がおこらない。そもそも競い合うのを好まないのは、この負ける悔しさが嫌でしょうがないからなのだろうと思う。この悔しさは自分の中に眠る活力なのだと思う。こんな時はじっと息をひそめ、人の話に耳を傾け、自分の体を観察しながら、ちょっとした流れの変化を見逃さないようにしていると、あとは時間が解決してくれるはず。


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2/12/2015

Coming To an End

作品が一つ完成しました。これからこの作品を通して、みてくれた人がどんなことを感じてくれるのか。楽しみです。


新しい作品を描こうと思う時、描きたいと思うテーマはもちろんざっくりとあるけれど、描いている過程でそれはどんどん変わっていくし、これをこういう意味合いで描いたから、人にもこういうことを考えて、こう感じてほしいということは、基本的に思わない。自分が思い感じたことを一度自分の体の中に溜め込んで、それが感情や記憶というブラックボックスを通して一つの作品が出来た時点で、ひとまず自分に出来ることは完結する。

基本的には自分の事を考えて、自分のために描いているその作業自体に浄化作用があると思うのだけど、その作品を人に観てもらい、その人の話を聞いたり、自分の話をしたり、あるいは作品の話でなくても、作品を通じてその人と親しくなっていけること自体がまずありがたく、また作品を通じて、その人の感情や記憶をたどってその人の中に入り込み、その人を知り、理解しようと努めることで、また新しい世界が見えてきて、巡り巡って自分が救われていく。

とにかく、一度完成し自分の手を離れた作品は、そこから人に観てもらい好きなように感じてもらうことで無限にその意味合いを変化させていくのだから、みんなアートなんて知識とか建前とか様式とかプライドとかはひとまず置いておいて興味があるものを好きなようにみたらいいのにと思うのです。

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2/06/2015

エガナイ


やばいな。載せる絵がないぞ。

今描いている途中の絵、完成間近で手が止まって、その間に別のを描き始めたりして、気づけば数週間経っている。その絵のアイデアを練っている時にボツになったイメージが上の絵。なんかやり過ぎだなぁと思って、もうちょっとさりげない感じがいいなぁと思ってやめました。まーこれに似てはいます。近日公開予定。乞うご期待!




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