6/30/2010

宗教に関する考察


仲のよい友達で最近わりと熱心なキリスト教徒がいる。(熱しやすく冷めやすいタイプなのでこの先どうなるかは分からないが。)で、ちょっと前に聖書をその友達にもらったので、今読んでいる。

宗教学としての宗教には昔から興味があったので、いい機会だと思って読み始めたのだけど、いろいろ感じる事や発見があった。昔はキリスト教そのものをとても毛嫌いしていたし、今でも根本的には全然共感する事はできない宗教なのだけど、なぜ、こんなにも人を惹き付けるのか、どうしてこんなにも政治的な力を持っているのか、すこしだけだけど分かってきたような気はする。まだJohnとGenesisしか読んでいないし、この先どう変わって行くのかわからないけど。

聖書を読んでいて、僕がどうしても共感できないのは、善と悪がはっきりと別れているところだ。善悪というものは所詮人が決めているものというのが個人的に常々感じている事なので、どうしてもそこに、人間的、社会的な意図を感じてしまう。でも、それをただ一つの救いの道として信じて進む事で、多くの人が精神的に救われ、社会の秩序がある程度健全に保たれている(もちろん、争いの原因にもなっている訳だけど)というのはそれはそれで大事な事だとも思う。

そして、その教えを唯一の救いとして、他の宗教を否定しなければならないことに、どうしても心が反発してしまう。道に迷わない事、それがもっともこの宗教(もしくは世の中の多くの宗教)に求められている事だから、その必然性はとてもよくわかるのだけど。

あるいは、僕がこうやって感じている事は悪魔のまやかしで間違いなのかもしれない。聖書の言っている事がすべて正しくて、僕は地獄に堕ちるのかもしれない。でも、僕には僕の精神世界というものがあって、それを放棄する事はどうしても望めない。
こういうことを考えだすとどうしても長くなってしまうけど、こうやって考える事そのものが自分にとっては大事な事柄なのだと思う。


サッカー日本負けちゃったね。残念。



No comments: